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Person / 人

バトゥ

Batu Khan
AD1207年頃 – AD1255年(享年48・推定)
キプチャク汗国重要度 4

概要

チンギスの長男ジョチの子。凍った川を道にして冬に進み、ルーシを潰してハンガリーまで達した。大ハーンの死で引き返し、ヴォルガに国を建てる。

所属

キプチャク汗国

本文

チンギスの長男ジョチの、次男になる。

ジョチは父より先に死んだ。

そして、ジョチが本当にチンギスの子かどうか、 一族の中で疑われていた。

母が攫われて戻ってきた直後に生まれている。

その負い目のある家系が、 帝国の西の端を割り当てられた。

「馬の蹄が届くところまで」。

1236年、西征が始まった。

総指揮はバトゥ。

各家から王子が加わる混成軍になる。

実際の戦術を立てたのはスブタイとされる。

ヴォルガ・ブルガールを潰し、 ルーシの諸公国を冬に一つずつ落とし、 ポーランドとハンガリーの軍を二日違いで破った。

1242年、大ハーンの死で引き返す。

後継を決める会議に出るため、と言われる。

だが、彼はそのままヴォルガに留まった。

会議には出ていない。

サライに都を置き、ジョチ・ウルスを建てた。

ルーシの諸公を臣従させ、貢納を取る。

その250年が、ロシアの側から 「タタールのくびき」と呼ばれる。