概要
皇帝オットー3世をグニェズノに迎え、対等の扱いを受けた。キエフを一時取り、死の直前に王冠を戴く。ポーランドが王国になった最初の年になる。
本文
ミェシュコの子である。 父の死後、継母と異母弟を追い出して国を一人で取った。
1000年、皇帝オットー3世がグニェズノを訪れた。 殉教した司教アダルベルトの墓に詣でるためだった。 皇帝はボレスワフの頭に自分の冠を置き、聖槍の写しを与え、 「友にして帝国の同盟者」と呼んだ。 ポーランドの教会はこのときグニェズノ大司教の下に独立した。
次の皇帝ハインリヒ2世とは15年戦った。 1018年にキエフを取って、義理の息子を大公に据え、 帰る途中でその財宝を持ち帰った。
1025年、教皇の許しを待たずに王冠を戴いた。 その数か月後に死んだ。 ポーランドが王国を名乗った最初の年になる。