← 地図で見る
Person / 人

曹植

Cao Zhi
AD192年 – AD232年(享年40・推定)
重要度 4

概要

曹操の三男。銅雀台の賦を一気に書き、跡継ぎに望まれ、酒で失った。兄曹丕に「七歩で詩を作れ」と命じられ、「豆を煮るに豆がらを燃く」と詠んだ、と伝わる。『洛神賦』。「天下の才を一石とすれば、曹植が八斗」。

関わったできごと(1)

銅雀台AD210年 · 賦を作った

本文

曹操の、 三男。 母は、 卞氏。 曹丕と、 同じ母。 BC192年。 「10余歳で、 詩論と、 辞賦を、 数十万言」。 「筆を、 取れば、 文章になる」。 曹操が、 「誰かに、 書かせたのか」。 「言えば、 論に、 なり、 筆を、 下せば、 章に、 なります。 目の前で、 試して、 ください」。 銅雀台。 「曹操は、 大いに、 異とした」。 「曹植は、 性、 簡易で、 威儀を、 治めず、 車馬と、 服飾は、 華麗を、 尚ばなかった」。 「曹操は、 彼を、 最も、 愛した」。 「跡継ぎ」。 「何度も、 思った」。 丁儀、 丁廙、 楊修。 曹植の、 側。 賈詡、 崔琰、 毛玠、 司馬懿。 曹丕の、 側。 曹丕は、 「まめで、 慎重」。 曹植は、 「酒」。 BC217年。 「司馬門」。 曹植は、 車で、 司馬門を、 通った。 王宮の、 門。 「天子だけ」。 曹操は、 怒った。 「公車令を、 斬った」。 「私は、 息子を、 特別扱いしていた。 これで、 やめる」。 太子は、 曹丕。 BC219年。 関羽が、 樊城を、 囲んだ。 曹操が、 曹植を、 「南中郎将」に。 曹仁を、 救いに。 「曹植は、 酔って、 命令を、 受けられなかった」。 「曹丕が、 酔わせた」。 『魏氏春秋』。 曹操は、 「悔いた」。 BC220年。 曹操が、 死んだ。 曹丕。 丁儀、 丁廙。 殺した。 「一族、 男は、 みな」。 曹植は、 「臨淄侯」。 「監国謁者」が、 「曹植は、 酔って、 使者に、 無礼」。 「罪」。 「安郷侯」。 「鄄城侯」。 「鄄城王」。 「雍丘王」。 「東阿王」。 「陳王」。 11年で、 6回、 封地を、 変えられた。 「七歩詩」。 『世説新語』。 「煮豆持作羹、 漉豉以為汁、 萁在釜下燃、 豆在釜中泣、 本自同根生、 相煎何太急」。 豆を、 煮て、 羹を、 作り、 豉を、 漉して、 汁と、 なす。 萁は、 釜の下で、 燃え、 豆は、 釜の中で、 泣く。 本は、 同じ、 根から、 生まれたのに、 相い、 煎ること、 何ぞ、 太だ、 急なる。 「曹丕は、 恥じた」。 『世説新語』。 5世紀。 正史には、 ない。 BC222年。 『洛神賦』。 洛水。 「翩として、 驚鴻の、 若く、 婉として、 游龍の、 若し」。 「甄氏」。 曹丕の、 妻。 甄夫人。 BC221年に、 曹丕が、 殺した。 「曹植は、 甄氏を、 愛していた」。 李善の、 注。 唐。 「感甄賦」。 「洛神賦」に、 改めた、 と。 「作り話」。 顧愷之が、 絵に。 『洛神賦図』。 BC226年。 曹丕が、 死んだ。 曹叡。 甥。 曹植は、 「上疏」。 「私を、 用いてください」。 「私は、 父の、 下で、 戦った。 いま、 私は、 30余歳で、 何も、 していない」。 「求自試表」。 「私は、 先帝の、 遺した、 臣。 一命を、 以て、 国に」。 曹叡は、 「文で、 答えた」。 用いなかった。 「私を、 洛陽に」。 「面会を」。 一度、 許された。 「兄弟の、 情」。 それだけ。 BC232年。 陳。 41歳。 「思」。 諡。 「陳思王」。 「私の、 葬儀は、 簡単に。 魚山に」。 東阿。 「魚山、 梵唄」。 「曹植が、 魚山で、 梵の、 声を、 聞いて、 中国の、 仏教音楽を、 作った」。 伝説。 「建安の、 傑」。 鍾嶸。 『詩品』。 上品。 「骨気、 奇高、 詞采、 華茂」。 「曹植の、 詩は、 人倫の、 周・孔、 鱗羽の、 龍・鳳」。 謝霊運。 「天下の、 才、 一石。 曹子建、 独り、 八斗を、 得たり。 我、 一斗。 天下、 共に、 一斗を、 分かつ」。 「才高八斗」。 「白馬篇」。 「捐躯赴国難、 視死忽如帰」。 躯を、 捐てて、 国難に、 赴き、 死を、 視ること、 忽ち、 帰るが、 如し。 「野田黄雀行」。 「七哀詩」。 「贈白馬王彪」。 BC223年。 弟、 曹彪と、 洛陽から、 帰る。 「一緒に、 帰るな」。 監国の、 使者。 「兄弟が、 別々の、 道で」。 「人生、 一世に、 処りて、 去くこと、 朝露の、 晞くが、 若し」。 曹彪は、 BC251年、 王淩の、 反乱で、 自殺を、 命じられた。 曹植の、 息子、 曹志。 晋に、 仕えた。 「陳思王の、 子」。 「私は、 父の、 文集を、 整理した」。 「曹植の、 詩は、 80余首、 残った」。 「曹操は、 20余首」。 「曹丕は、 40余首」。 「三曹」。 「一番、 多く、 残った、 のは、 一番、 不遇だった、 人」。