概要
ジャワの王族に生まれ、5年にわたる反乱でオランダを追い詰めた。和平交渉に呼び出された席で捕らえられ、流刑地で死ぬ。いまインドネシアの国民的英雄になっている。
関わったできごと(1)
ジャワ戦争1825年 · 率いた本文
ジョグジャカルタのスルタンの長男として生まれたが、 母の身分が低く、王位の継承からは外された。
宮廷を離れ、農村で暮らした。 イスラームの学問を学び、ジャワの神秘思想に通じ、 農民の暮らしを近くで見ている。この経歴が、のちの支持の広さになる。
1825年、オランダが彼の土地に道路の杭を打った。 祖先の墓地を通る計画だった。 杭を抜かせ、そこから戦いが始まる。
5年戦い、ジャワ中部の大半を一時は押さえた。 オランダは要塞の網で少しずつ包囲する方法に切り替え、 1830年、和平交渉の名目で彼を呼び出して捕らえた。
スラウェシのマカッサルへ流された。 そこで自伝を書いている。ジャワ語で書かれた長い韻文になる。 25年幽閉されて死んだ。
いま、その名はインドネシアの通りと大学と紙幣にある。