概要
蘇我入鹿を宮中で斬り、大化の改新を始め、20年皇太子のまま政治を執った。白村江で負け、都を近江に移し、最初の戸籍を作り、水時計を置いた。死の床で弟に位を譲ろうとし、弟は出家して吉野へ逃げた。翌年、壬申の乱。
所属
日本関わったできごと(1)
近江大津宮への遷都AD667年 · 天皇本文
葛城皇子、中大兄皇子、天智天皇。 舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子。 626年に生まれた。
645年6月12日。 飛鳥板蓋宮、 三韓の使者の上表の儀式。 中臣鎌足と組んで、 蘇我入鹿を斬った。 剣を持つ役の者が怯えて、 自分で斬りかかった。 母の皇極天皇が「何事か」と言い、 「入鹿は皇族を滅ぼして皇位を奪おうとしている」と答えた。 母は退位した。 叔父の孝徳天皇が立ち、 中大兄は皇太子になった。 大化の改新。
難波へ遷都。 653年、孝徳を難波に置き去りにして飛鳥に帰った。 皇后も、官人も、連れて。 孝徳は翌年、一人で死んだ。 母が重祚した。斉明天皇。 658年、有間皇子を謀反で殺した。 19歳。 「天と赤兄と知る。吾、全ら知らず」。
660年、百済が滅び、 661年、母と筑紫へ。 母は朝倉宮で死んだ。 663年、白村江。 称制。 皇太子のまま、即位せずに政治を執った。 664年、水城。 667年、近江。 668年1月、即位。 42歳。
漏刻。 庚午年籍。 近江令。 藤原の姓を鎌足に与えた。 死の前日。
671年12月3日。 46歳。 山科の陵。 山科で狩りに出て帰らず、 沓だけが見つかった、という話が『扶桑略記』にある。 陵はその場所。
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」。 百人一首の第一首。 本人の歌ではないと言われる。