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Person / 人

天智天皇(中大兄皇子)

Emperor Tenji
AD626年 – AD672年1月7日(享年46・推定)
日本重要度 4

概要

蘇我入鹿を宮中で斬り、大化の改新を始め、20年皇太子のまま政治を執った。白村江で負け、都を近江に移し、最初の戸籍を作り、水時計を置いた。死の床で弟に位を譲ろうとし、弟は出家して吉野へ逃げた。翌年、壬申の乱。

所属

日本

関わったできごと(1)

近江大津宮への遷都AD667年 · 天皇

本文

葛城皇子、中大兄皇子、天智天皇。 舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子。 626年に生まれた。

645年6月12日。 飛鳥板蓋宮、 三韓の使者の上表の儀式。 中臣鎌足と組んで、 蘇我入鹿を斬った。 剣を持つ役の者が怯えて、 自分で斬りかかった。 母の皇極天皇が「何事か」と言い、 「入鹿は皇族を滅ぼして皇位を奪おうとしている」と答えた。 母は退位した。 叔父の孝徳天皇が立ち、 中大兄は皇太子になった。 大化の改新。

難波へ遷都。 653年、孝徳を難波に置き去りにして飛鳥に帰った。 皇后も、官人も、連れて。 孝徳は翌年、一人で死んだ。 母が重祚した。斉明天皇。 658年、有間皇子を謀反で殺した。 19歳。 「天と赤兄と知る。吾、全ら知らず」。

660年、百済が滅び、 661年、母と筑紫へ。 母は朝倉宮で死んだ。 663年、白村江。 称制。 皇太子のまま、即位せずに政治を執った。 664年、水城。 667年、近江。 668年1月、即位。 42歳。

漏刻。 庚午年籍。 近江令。 藤原の姓を鎌足に与えた。 死の前日。

671年12月3日。 46歳。 山科の陵。 山科で狩りに出て帰らず、 沓だけが見つかった、という話が『扶桑略記』にある。 陵はその場所。

「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」。 百人一首の第一首。 本人の歌ではないと言われる。