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Person / 人

ハーラル美髪王

Harald Fairhair
AD850年頃 – AD932年頃(享年82・推定)
ノルウェー重要度 3

概要

ノルウェーの小王の一人が、「国を一つにするまで髪を切らない」と誓い、ハフルスフィヨルドで勝って切った。負けた者はアイスランドに逃げた。サガの伝えで、史実の輪郭は薄い。

関わったできごと(1)

ハフルスフィヨルドの戦いAD872年頃 · 勝者

本文

ハラルドル・ハールファグリ。 ハーラル・ホールファグレ。

『ヘイムスクリングラ』。 父ハルフダン黒王。 ヴェストフォルの小王。 10歳で継いだ。 ギューザ。 誓い。 「ノルウェーを全部取るまで、髪を切らず、櫛を入れない」。

「もじゃもじゃのハーラル」(ルーファ)。 戦い。 オップラン、トロンデラーグ、 ハフルスフィヨルド。 髪を切った。 ラグンヴァル・メーレ伯が切った。 「美髪」。

『ハーラル美髪王のサガ』は13世紀。 同時代の史料は、スカルド詩。 『ハラルドクヴェーディ』。 「ラウマの戦」。 ハフルスフィヨルドの戦いを歌った、 とされる詩の断片。 「王は、太いくびきのように敵を打った」。 「敵は逃げた、 盾を投げ、 船底に頭を隠して」。 戦いはあった。 場所も。 年は分からない。 「ノルウェーの統一」がどこまでの範囲だったか、分からない。

子は多かった。 20人、と。 エイリーク血斧王。 ホーコン善王。 ホーコンは、 イングランドのエゼルスタンのもとで育てられた。 「エゼルスタンの養子」。 キリスト教徒として帰ってきて、 王になり、 異教の民に強いることができず、 異教の儀式に半分参加した。

ハーラルは晩年、 息子たちに国を分け、 エイリークを上王にした。 息子たちは殺し合った。 統一は、一代で分かれ、 また集まり、 また分かれた。

930年代に死んだ。 80歳と。 ハウゲスンに墓とされる場所があり、 1872年に、 「統一1000年」の記念碑が建った。 その年に、 ノルウェーはまだスウェーデンの連合の中にいた。