概要
ポルトガル王の三男。セウタで戦い、以後45年、アフリカの海岸へ船を送り続けた。自分は一度も探検に出ず、サグレスに住み、船と地図と航海士に金を出した。奴隷貿易もここから始まる。「航海王子」の名は19世紀のイギリス人がつけた。
本文
ジョアン1世とフィリパ・オブ・ランカスターの三男。 母はジョン・オブ・ゴーントの娘。 1394年、ポルト。 セウタで騎士になり、 キリスト騎士団の総長になった。 テンプル騎士団の後身で、 その金が船に使われた。
サグレス。 ポルトガルの南西の端。 「航海学校」があった、と18世紀から言われる。 実際には、船乗りと地図職人と天文学者を集めた屋敷だった。 ジル・エアネス。 1434年、ボジャドール岬。 15回目の試みで越えた。 「その先は海が沸いている」と言われていた岬。 1441年、最初のアフリカ人奴隷がラゴスに着いた。 1444年、235人。 エンリケは五分の一を取った。 「異教徒を救うため」と年代記のズララは書いた。 1443年、ボジャドール以南の航海の独占権を弟から得た。 1437年、タンジール。 負けた。 弟フェルナンドを人質に残し、 セウタと引き換えに返す約束をし、 返さなかった。 フェルナンドはフェズの獄で1443年に死んだ。 「聖なる王子」と呼ばれた。
結婚せず、 禁欲で、 毛の下着を着ていた、と伝える。 1460年11月13日、サグレスで死んだ。 アフリカの海岸はシエラレオネまで。 インドまで、あと38年。 「航海王子」(ザ・ナヴィゲーター)は 1868年のイギリスの伝記の題。 ポルトガル語では「インファンテ・ドン・エンリケ」。 リスボンの「発見のモニュメント」(1960年)の先頭に立っている。 自分では一度も、岬を回らなかった。