概要
9歳で父を夜討ちに殺され、「敵を恨むな」と遺言された。比叡山で30年学び、43歳で山を下りて、念仏だけを説いた。弟子が女官を出家させた咎で75歳で四国に流された。親鸞はその弟子。
所属
日本関わったできごと(1)
法然の専修念仏AD1175年 · 開祖本文
美作国久米(いまの岡山県久米南町)の押領使、漆間時国の子。 1141年、9歳のとき、父が明石定明に夜討ちされた。 父は死ぬ前に言った。 「敵を恨むな。恨めば恨みは尽きない。出家して私の菩提を弔え」。 少年は母方の叔父の寺に入り、 1147年、15歳で比叡山に上った。
18歳で黒谷の叡空のもとに隠れ、法然房源空と名乗った。 「智慧第一の法然房」。 一切経を五度読んだと伝わる。 それでも、自分が救われる道が見つからなかった。
1175年、43歳。 善導の『観無量寿経疏』の「一心専念弥陀名号」の一節。 山を下りて、東山吉水に住んだ。
説法は平易だった。 「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」。 九条兼実が帰依した。 熊谷直実が、殺した敦盛のことを抱えて弟子になった。 遊女が船から声をかけて、 「その身のまま念仏せよ」と答えた話が伝わる。
1204年、比叡山の僧が念仏停止を訴え、 法然は『七箇条制誡』を出して弟子を戒めた。 1206年、後鳥羽上皇が熊野へ行っている間に、 弟子の住蓮と安楽が院の女房二人を出家させた。 上皇は怒り、二人を斬り、 1207年、法然を土佐へ、親鸞を越後へ流した。 75歳。 「流罪は朝恩なり。田舎の人に念仏を伝えられる」と言った。
1211年に赦されて京に帰り、 翌年1月25日に死んだ。80歳。 『一枚起請文』を死の二日前に書いた。 「ただ一向に念仏すべし」で終わる。