概要
パリ伯の家から、カロリング家の断絶で王に選ばれた。領地はパリとオルレアンの周りだけで、諸侯より弱かった。だが息子を生前に共同王にし、その家が800年続く。カペー、ヴァロワ、ブルボン。
所属
フランス王国関わったできごと(1)
ユーグ・カペーの即位AD987年7月3日 · 王本文
ユーグ。 「大ユーグ」(ユーグ・ル・グラン、フランス公)の子。 母はザクセンのハドヴィヒ、 オットー1世の妹。 ユーグは、ドイツ皇帝の甥。 940年頃。 956年、父が死んだ。 16歳。 叔父のオットー1世が後見。 ロレーヌ公ブルーノ(別の叔父、ケルン大司教)。
「フランス公」(ドゥクス・フランコルム)。 パリ、オルレアン。 サン・マルタン・ド・トゥールの俗人修道院長。 サン・ジェルマン・デ・プレ、 サン・ドニ。 修道院を「持つ」。 アンジュー伯、ブロワ伯、 ノルマンディー公の宗主、名目上。
カロリング。 ロテール。 986年、死んだ。 ルイ5世。 「何もしなかった王」(クィ・ニヒル・フェキト)。 987年5月21日、狩り。 落馬。 アダルベロン。 ランス大司教。 ロテールとの争いで、 反逆罪で裁かれる直前だった。 ルイが死んで、 裁判は消えた。 ジェルベール。 「ロテールはフランスの王の名を持つだけ。 ユーグは名前はないが、王だ」。 ロテールが生きていたときに書いた手紙。
5月末、サンリス。 6月1日、 ノワイヨン、 7月3日。 ロベール。 12月30日、オルレアン。 シャルル。 ラン。 988年から991年。 「アダルベロン」。 ランの司教アダルベロン。 「アスケリン」。 裏切り。 991年の聖枝祭の夜。 シャルルとその家族を、寝ている間に。 ユーグに渡した。 オルレアン。 992年か、993年に獄で死んだ。 子のルイと。
ユーグの領地は「パリからオルレアンまで、道の両側」。 「この国では、王は自分の城を出ると、 盗賊に襲われる」。 「ユーグ・カペーは、パリからサン・ドニまでの王」。 後世の誇張。 だが、 アキテーヌ公ギヨームは ユーグを王と認めなかった。 「私を王にしたのは誰か」。
996年10月24日。 サン・ドニ。 ロベール2世。 「敬虔王」。 すでに9年、王だった。 選挙はなかった。 以後も、なかった。
「カペー」。 「カプット」(頭)とも。 「カッパ」(マント)とも。 ユーグ自身が呼ばれたのは、 「ユーグ公」。 「ユーグ王」。 それだけ。 彼の子孫が、 「カペー朝」と呼ぶことにした。 1793年、 「ルイ・カペー」。 ヴァレンヌ。 革命は、 彼の家に、 彼の名を、 返した。