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Person / 人

ユーグ・カペー

Hugh Capet
AD940年頃 – AD996年(享年56・推定)
フランス王国重要度 3

概要

パリ伯の家から、カロリング家の断絶で王に選ばれた。領地はパリとオルレアンの周りだけで、諸侯より弱かった。だが息子を生前に共同王にし、その家が800年続く。カペー、ヴァロワ、ブルボン。

所属

フランス王国

関わったできごと(1)

ユーグ・カペーの即位AD987年7月3日 · 王

本文

ユーグ。 「大ユーグ」(ユーグ・ル・グラン、フランス公)の子。 母はザクセンのハドヴィヒ、 オットー1世の妹。 ユーグは、ドイツ皇帝の甥。 940年頃。 956年、父が死んだ。 16歳。 叔父のオットー1世が後見。 ロレーヌ公ブルーノ(別の叔父、ケルン大司教)。

「フランス公」(ドゥクス・フランコルム)。 パリ、オルレアン。 サン・マルタン・ド・トゥールの俗人修道院長。 サン・ジェルマン・デ・プレ、 サン・ドニ。 修道院を「持つ」。 アンジュー伯、ブロワ伯、 ノルマンディー公の宗主、名目上。

カロリング。 ロテール。 986年、死んだ。 ルイ5世。 「何もしなかった王」(クィ・ニヒル・フェキト)。 987年5月21日、狩り。 落馬。 アダルベロン。 ランス大司教。 ロテールとの争いで、 反逆罪で裁かれる直前だった。 ルイが死んで、 裁判は消えた。 ジェルベール。 「ロテールはフランスの王の名を持つだけ。 ユーグは名前はないが、王だ」。 ロテールが生きていたときに書いた手紙。

5月末、サンリス。 6月1日、 ノワイヨン、 7月3日。 ロベール。 12月30日、オルレアン。 シャルル。 ラン。 988年から991年。 「アダルベロン」。 ランの司教アダルベロン。 「アスケリン」。 裏切り。 991年の聖枝祭の夜。 シャルルとその家族を、寝ている間に。 ユーグに渡した。 オルレアン。 992年か、993年に獄で死んだ。 子のルイと。

ユーグの領地は「パリからオルレアンまで、道の両側」。 「この国では、王は自分の城を出ると、 盗賊に襲われる」。 「ユーグ・カペーは、パリからサン・ドニまでの王」。 後世の誇張。 だが、 アキテーヌ公ギヨームは ユーグを王と認めなかった。 「私を王にしたのは誰か」。

996年10月24日。 サン・ドニ。 ロベール2世。 「敬虔王」。 すでに9年、王だった。 選挙はなかった。 以後も、なかった。

「カペー」。 「カプット」(頭)とも。 「カッパ」(マント)とも。 ユーグ自身が呼ばれたのは、 「ユーグ公」。 「ユーグ王」。 それだけ。 彼の子孫が、 「カペー朝」と呼ぶことにした。 1793年、 「ルイ・カペー」。 ヴァレンヌ。 革命は、 彼の家に、 彼の名を、 返した。