概要
アレクサンドリアの数学者・天文学者。街の宗教対立のなかで群衆に殺された。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
ヒュパティアの死AD415年 · 当人本文
父テオンは『アルマゲスト』と『原論』の注釈で知られる数学者で、 彼女はその仕事を引き継いだ。 ディオファントスとアポロニオスへの注釈を書いたとされるが、 本人の著作は残っていない。
弟子のシュネシオスが送った手紙が残っており、 そこにアストロラーベや比重計についてのやり取りがある。 実際に器具を扱う人だったことが分かる。
新プラトン主義を教え、 弟子にはキリスト教徒も異教徒もいた。
殺されたのは、 総督オレステスと総司教キュリロスの対立のなかでになる。 総督の助言者と見なされていた。
「科学と宗教の対立」の象徴として引かれることが多い。 実際には都市の党派抗争で、 図式はあとから当てはめられたものになる。