← 地図で見る
Person / 人

ヒュパティア

Hypatia
AD355年頃 – AD415年(享年60・推定)
ローマ帝国重要度 3

概要

アレクサンドリアの数学者・天文学者。街の宗教対立のなかで群衆に殺された。

所属

ローマ帝国

関わったできごと(1)

ヒュパティアの死AD415年 · 当人

本文

父テオンは『アルマゲスト』と『原論』の注釈で知られる数学者で、 彼女はその仕事を引き継いだ。 ディオファントスとアポロニオスへの注釈を書いたとされるが、 本人の著作は残っていない。

弟子のシュネシオスが送った手紙が残っており、 そこにアストロラーベや比重計についてのやり取りがある。 実際に器具を扱う人だったことが分かる。

新プラトン主義を教え、 弟子にはキリスト教徒も異教徒もいた。

殺されたのは、 総督オレステスと総司教キュリロスの対立のなかでになる。 総督の助言者と見なされていた。

「科学と宗教の対立」の象徴として引かれることが多い。 実際には都市の党派抗争で、 図式はあとから当てはめられたものになる。