概要
バビロニアの洗礼教団に育ち、24歳で啓示を受け、光と闇の二元の宗教を作った。インドへ渡り、シャープール1世に迎えられ、自分で経典を書いて絵で説いた。次の王に鎖で繋がれて死んだ。その宗教はローマから中国まで広がり、1000年続いて、消えた。
所属
ササン朝ペルシア関わったできごと(1)
マニの処刑AD277年 · 預言者本文
アラム語でマーニー。 ギリシア語でマニカイオス。 アラビア語でマーニー・イブン・ファータク。 中国語で摩尼。
生まれたのはクテシフォンの北の村。 216年4月14日。 父パティークはハマダーンの出で、 母はパルティアの王族の家の出、と伝える。 父はエルカサイ派に入り、 4歳の子を連れて行った。 白い服、洗礼の繰り返し、菜食。
12歳、最初の啓示。 24歳、二度目。 「双子」(アッ・タウム)。 自分の天上の分身。 「私はイエスの使徒、 ゾロアスターとブッダとイエスの封印」。 教団を出た。 父と、二人の弟子が付いてきた。
インドへ船で行った。 トゥーランの王を改宗させた、と伝える。 242年、シャープール1世の戴冠。 王の弟ペーローズが引き合わせた。 王は謁見を三度断り、 三度目に会って、 「行きたい所へ行け」と許した。 マニは王の遠征に従い、 『シャーブフラガーン』を献じた。
自分で7つの経典を書いた。 「他の預言者は書かなかった。弟子が書いた。だから乱れた。 私は自分で書く」。 『生けるゴスペル』『生命の宝』『プラグマテイア』 『秘儀の書』『巨人の書』『書簡』『詩篇』。 絵の書『アルジャング』。 文字も作った。 シリア文字を元にした「マニ文字」。 20世紀にトルファンで、その文字の写本が出た。
教会の組織。 12人の使徒、72人の司教、360人の長老、 選ばれた者、聴聞者。 布教は東へ、西へ。 弟子アッダーがエジプトへ、 マル・アンモがソグドへ。
277年か276年、 グンデシャープール。 バフラーム1世が会って言った。 「お前は何の役に立つ。狩りもしない、戦もしない。 医者だと言うが、それもしない」。 鎖。 26日。 「私は王の前に立った。私の教えは、王たちのものではない」。 死んだ。 信徒は「十字架の日」と呼び、 毎年、ベーマ祭で悼んだ。 空の玉座(ベーマ)を置いて。