概要
津和野の藩医の子で、19歳で東大医学部を出て、ドイツに4年。帰ってすぐ『舞姫』を書いた。軍医総監として脚気の原因を細菌だと言い張って兵を死なせた。晩年は歴史小説。「石見人森林太郎として死せんと欲す」。
所属
日本本文
森林太郎。 石見国津和野。 亀井家の典医。 「森家は、 代々、 医者」。 「長男は、 医者に」。 1872年、 東京。 「10歳」。 「12歳と、 偽って」。 東京医学校。 「年齢を、 2歳、 上に」。 「予科」。 1881年、 卒業。 19歳。 「最年少」。 「席次は、 8番」。 「首席ではなかった」。 「文部省留学は、 首席に」。 「陸軍軍医」。 1884年、 ドイツ。 「衛生学」。 ライプツィヒ、 ドレスデン、 ミュンヘン、 ベルリン。 コッホ。 ペッテンコーファー。 「ナウマン」。 「日本人は、 猿真似」。 「鷗外が、 反論した」。 「ドイツ語で」。 1888年9月、 帰国。 「エリス」。 「エリーゼ・ヴィーゲルト」。 9月12日、 横浜。 「鷗外の、 4日後に」。 「1か月」。 「帰った」。 「鷗外の、 弟と、 妹が、 説得した」。 「エリスは、 帰った」。 『舞姫』。 1890年1月。 「太田豊太郎」。 「エリス」。 「狂った」。 「私は、 彼女を、 捨てた」。 「石炭をば早や積み果てつ」。 1889年、 赤松登志子と結婚。 「海軍中将の娘」。 1890年、 離婚。 「於菟」。 1889年、 『於母影』。 訳詩。 「新声社」。 『しがらみ草紙』。 「没理想論争」。 坪内逍遥と。 1894年、 日清。 軍医。 1899年、 小倉。 「左遷」。 「第十二師団軍医部長」。 「3年」。 「小倉」。 「鷗外は、 黙った」。 1902年、 荒木志げと再婚。 「18歳下」。 「美人」。 「小説を書いた」。 1904年、 日露。 「第二軍軍医部長」。 「脚気」。 「麦飯」。 「海軍の高木兼寛は、 麦飯で、 脚気を、 なくした」。 「陸軍は、 白米」。 「鷗外は、 脚気は、 細菌だと」。 「2万7000人が、 脚気で、 死んだ」。 「戦死者の、 3倍」。 「鷗外は、 最後まで、 認めなかった」。 「1910年、 臨時脚気調査会」。 「鷗外が、 会長」。 「1911年」。 「鈴木梅太郎、 オリザニン」。 「ビタミンB1」。 1907年、 軍医総監。 陸軍省医務局長。 「最高位」。 1909年、 『ヰタ・セクスアリス』。 「発禁」。 『スバル』。 「鷗外が、 47歳で、 また、 書き始めた」。 『半日』 『青年』 『雁』 『妄想』。 1912年9月、 乃木。 『興津弥五右衛門の遺書』。 「5日で」。 1913年、 『阿部一族』。 「殉死」。 『佐橋甚五郎』。 1914年、 『大塩平八郎』 『堺事件』。 1915年、 『山椒大夫』 『最後の一句』。 「安寿と厨子王」。 1916年、 『高瀬舟』。 「安楽死」。 『渋江抽斎』。 「史伝」。 「抽斎」。 「弘前の医者」。 「誰も、 読まない」。 「鷗外は、 自分を、 書いた」。 『伊沢蘭軒』 『北条霞亭』。 1916年、 予備役。 1917年、 帝室博物館総長。 図書頭。 1922年7月9日。 60歳。 「萎縮腎」。 「結核」。 遺言。 「余は石見人森林太郎として死せんと欲す。 宮内省陸軍皆縁故あれども生死別るる瞬間あらゆる外形的取扱いを辞す。 森林太郎として死せんとす。 墓は森林太郎墓の外一字もほるべからず」。 「森林太郎墓」。 「三鷹、 禅林寺」。 「太宰治の、 向かい」。 「太宰が、 鷗外の墓の、 そばに、 埋めてくれと」。 「太宰の墓は、 向かいに」。 「軍医総監」。 「文学博士」。 「医学博士」。 「一字も」。