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Person / 人

ニコライ2世

Nicholas II
AD1868年5月18日 – AD1918年7月17日(享年50)
ロシア重要度 5

概要

1891年、大津で日本の巡査に斬られた。戴冠式で1300人が圧死した。日露戦争、血の日曜日、ドゥーマ、ラスプーチン。1917年3月、列車の中で退位。1918年7月、エカテリンブルクの地下室で家族と共に撃たれた。2000年、ロシア正教会が聖人にした。

関わったできごと(1)

二月革命(ロシア)AD1917年3月8日(露暦2月23日) · 退位

本文

ニコライ。1868年。ツァールスコエ・セロー。 アレクサンドル3世の長子。 1891年、大津。津田三蔵。サーベル。額に9センチ。「猿」と日記に。 1894年、父が死んだ。「私は準備ができていない」。 アリックス。ヘッセンのアリス。アレクサンドラ。 1896年、戴冠。ホディンカ。1389人が圧死。その夜、フランス大使館の舞踏会に行った。 「血のニコライ」。 4人の娘。オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア。 1904年、アレクセイ。血友病。 1904年、日本。「ロシアは負けない」。 1905年1月22日、血の日曜日。ガポン。 10月、マニフェスト。ドゥーマ。 「私は専制を守る。父の遺言」。 ラスプーチン。1905年から。「アレクセイを止める」。 1914年、戦争。 1915年、大本営。自分で総司令官に。「私が敗北の責任を」。 アレクサンドラがペトログラードで大臣を替えた。ラスプーチンの言う通りに。 1916年12月、ユスポフがラスプーチンを殺した。 1917年3月、プスコフ。 「周りは裏切りと臆病と欺瞞」。日記。 ツァールスコエ・セロー。 8月、トボリスク。 1918年4月、エカテリンブルク。イパチェフ館。 7月17日、午前1時30分。「地下室へ。移動する」。 ユロフスキー。 11人。家族7人、医者、料理人、従者、女中。 犬も。 「アナスタシアが生きていた」。アンナ・アンダーソン。1920年から1984年。 1991年、骨。9人。 2007年、2人。アレクセイとマリア。 DNA。 1998年、ペトロパヴロフスク要塞。エリツィンが「我々はみな有罪」。 2000年、聖人。「受難者」。 「彼は善良な父で、無能な皇帝だった」。 「彼は、立憲君主になれなかった」。 「彼は、300年を、1週間で」。 2017年、映画『マチルダ』。彼の若い頃の恋人。教会が怒った。 イパチェフ館は1977年に壊された。エリツィンが州の書記のときに。 その上に「血の上の教会」。 「ロマノフ」。