概要
盛岡の生まれ、札幌農学校で内村と同期。アメリカで英語で『武士道』を書き、ローズヴェルトが読んだ。台湾の砂糖を作り、一高の校長、国際連盟の事務次長。「太平洋の橋になりたい」。満洲事変の弁明に出てカナダで死んだ。五千円札。
所属
日本本文
盛岡。 南部藩。 1862年。 「新渡戸傳(つとう)」。 祖父。 「三本木原の、 開拓」。 「十和田市」。 父十次郎。 「藩の、 勘定奉行」。 「1867年、 死んだ」。 1871年、 東京。 「叔父、 太田時敏」。 「太田稲造」。 1873年、 東京英語学校。 1877年、 札幌農学校。 「二期生」。 「内村」。 「宮部金吾」。 「洗礼」。 「『パウロ』」。 「洗礼名」。 1881年、 卒業。 「開拓使」。 1883年、 東京大学。 「『太平洋の橋』」。 「『私は、 太平洋の、 橋に、 なりたい』」。 「東大の、 面接で」。 「『英文学と、 経済学を』」。 「『日本の、 思想を、 外国に、 外国の、 思想を、 日本に』」。 「『橋』」。 1884年、 アメリカ。 ジョンズ・ホプキンズ。 「クェーカー」。 「フレンド」。 「『内なる光』」。 「メアリー・エルキントン」。 「フィラデルフィア」。 「『クェーカーの、 娘』」。 1887年、 ドイツ。 「ボン、 ベルリン、 ハレ」。 「農政学」。 「博士」。 1891年、 「メアリーと結婚」。 「フィラデルフィア」。 「『両家が、 反対した』」。 「『万里子』」。 「札幌」。 「農学校」。 「教授」。 「『遠友夜学校』」。 「『貧しい子供のための、 夜学校』」。 「メアリーの、 遺産で」。 1897年、 「病気」。 「神経衰弱」。 「カリフォルニア」。 「モントレー」。 1899年、 『Bushido: The Soul of Japan』。 「フィラデルフィア」。 「英語で」。 「『妻に、 日本人の、 道徳は、 どこから、 来るのかと、 聞かれて』」。 「『ベルギーの、 法学者ラヴレーに、 『日本には、 宗教教育が、 ないのか』と、 聞かれて』」。 「『武士道』」。 「『義、 勇、 仁、 礼、 誠、 名誉、 忠義』」。 「『桜』」。 「『武士道は、 桜の花のように、 日本の、 土に、 固有の花』」。 「セオドア・ローズヴェルト」。 「『何冊も買って、 友人に、 配った』」。 「『日露戦争で、 日本に、 親近感』」。 「『日本人が、 読んだのは、 1908年の、 櫻井鷗村訳から』」。 「『武士道は、 日本人が、 英語で、 外国人に、 説明した、 日本』」。 1901年、 台湾。 「後藤新平」。 「『糖業』」。 「『台湾の、 砂糖』」。 「『新渡戸の、 糖業改良意見書』」。 1903年、 京都帝国大学。 1906年、 第一高等学校。 「校長」。 「『一高の、 校長』」。 「『籠城主義』を、 批判した」。 「『社交性』」。 「『矢内原忠雄、 河合栄治郎、 田中耕太郎、 前田多門』」。 「『新渡戸の、 一高』」。 1911年、 「日米交換教授」。 「アメリカで、 1年」。 1913年、 東京帝国大学。 「植民政策」。 「『植民地の、 人々の、 福祉』」。 「矢内原が、 継いだ」。 1918年、 東京女子大学。 「初代学長」。 1920年、 国際連盟。 「事務次長」。 「ジュネーヴ」。 「7年」。 「『国際知的協力委員会』」。 「『アインシュタイン、 キュリー、 ベルクソン』」。 「『ユネスコの、 前身』」。 「『エスペラント』」。 「『連盟で、 エスペラントを』」。 「『フランスが、 反対した』」。 1926年、 帰国。 「貴族院議員」。 1929年、 太平洋問題調査会。 「理事長」。 1931年、 満洲事変。 1932年2月、 松山。 「『我が国を、 亡ぼすものは、 共産党と、 軍閥である』」。 「『新聞に、 出た』」。 「『軍部が、 怒った』」。 「『在郷軍人会』」。 「『謝罪した』」。 1932年、 アメリカ。 「『満洲事変を、 弁明する』」。 「『日本の、 立場』」。 「『友人たちが、 離れた』」。 「『クェーカーの、 友人が』」。 「『あなたは、 軍部の、 弁護人か』」。 1933年、 カナダ。 「バンフ」。 「太平洋会議」。 「『日本代表団長』」。 10月15日、 ヴィクトリア。 「膵臓炎」。 「71歳」。 「『太平洋の、 橋』の、 上で」。 1984年、 五千円札。 「『日本人は、 新渡戸を、 知らなかった』」。 「『英語で、 日本を、 書いた人』」。 「『国際連盟』」。 「『日本が、 連盟を、 脱退したのは、 1933年3月』」。 「『新渡戸が、 死ぬ、 7か月前』」。