概要
参謀出身の第6軍司令官。スターリングラードで包囲され、ヒトラーは降伏を禁じて元帥にした。「ドイツの元帥は降伏しない」。翌日、降伏した。ソ連の捕虜としてナチスを批判する放送をし、ニュルンベルクで証言した。東ドイツのドレスデンで死んだ。
関わったできごと(1)
スターリングラードの戦いAD1942年8月23日 · 降伏本文
パウルス。1890年。ヘッセン。 「フォン」はない。よく間違われた。 1910年、士官。 参謀。 「几帳面。遅い。決断しない」。 1940年、参謀本部次長。「バルバロッサの計画」。 1942年1月、第6軍。「ライヒェナウが死んだ」。初めての軍司令官。 ハリコフ。 スターリングラード。 11月23日。 「脱出を」。ヒトラー「留まれ」。 「私は命令に従う」。 シュミット参謀長。「総統は正しい」。 ザイドリッツ。「脱出を。命令を無視して」。 「私は将軍だ。反乱はしない」。 1月8日、ソ連が降伏を勧めた。断った。 1月30日、元帥。 1月31日、ウニヴェルマーク百貨店の地下。「降伏する」。自分でなく、参謀長が。 「ドイツの元帥は捕虜にならない」。 「私はボヘミアの伍長のために自殺しない」。 9万1000人。 ソ連。 1944年8月、「自由ドイツ国民委員会」。ラジオ。「ヒトラーを倒せ」。 息子が東部戦線で戦死し、妻がゲシュタポに。 1946年2月、ニュルンベルク。証人。「バルバロッサを計画した」。 1953年、東ドイツ。ドレスデン。「警察の顧問」。 1957年2月1日。ドレスデン。 「スターリングラードの降伏から14年、同じ日」。 ALS。 バーデン・バーデン。妻の隣。 「彼は、命令に従いすぎた」。 「彼が11月に脱出していれば、30万人は」。 「彼が降伏しなければ、9万人はもっと」。 「彼は、元帥にされた翌日に降伏した。ヒトラーへの、彼の唯一の反抗」。 「彼は、その後、ヒトラーを裏切った。9万人が死んでから」。 2005年、映画。 「第6軍」。 ドイツで、いま、彼の名の通りはない。