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Person / 人

ペドロ・アルヴァレス・カブラル

Pedro Álvares Cabral
AD1467年頃 – AD1520年頃(享年53・推定)
ポルトガル帝国重要度 3

概要

ガマの次にインドへ送られ、途中でブラジルに着いた。カリカットで工場を襲われ、報復に街を砲撃し、香料を積んで帰った。13隻のうち7隻を失った。二度目の航海はガマに取られ、田舎で死んだ。

関わったできごと(1)

カブラルのブラジル到達AD1500年4月22日 · 司令官

本文

ベルモンテ。 ポルトガル中部。 1467年か1468年。 ベルモンテの領主の子。 宮廷に育ち、 王の顧問になった。 海に出た記録がない。 1500年、 マヌエル1世が、 ガマの次の船団の司令官に選んだ。 32歳。 「なぜ、 彼か」。 分からない。 貴族だった。

ブラジル。 インド。 9月13日、 カリカット。 ザモリン。 ガマが2年前に、 悪い印象を残していた。 商館。 12月、 アラブ商人が商館を襲った。 ポルトガル人50人が死んだ。 カブラルはアラブの船10隻を焼き、 街を砲撃した。 「2日」。 南へ。 コーチン。 ザモリンの敵。 香料。 胡椒、 生姜、 シナモン。 1501年6月、 リスボン。 13隻で出て、 7隻で帰った。 ディアスも。 それでも、 香料の利益は、 遠征の費用の倍。

二度目の船団。 王は、 最初、 カブラルを選んだ。 ガマが「私が」。 ガマが行った。 1502年。 カブラルは、 二度と船に乗らなかった。 1503年、 結婚。 サンタレンの田舎で。 1520年頃、 死んだ。 サンタレンの教会の墓。 1848年、 ブラジルの歴史家ヴァルナーゲンが墓を見つけた。 「発見者の墓が、忘れられていた」。 1903年、 ブラジル政府が墓を修理した。 ブラジルでは、 「発見者」。 ポルトガルでは、 「13隻のうち7隻を失った人」。 偶然か。 1498年、 ドゥアルテ・パシェコ・ペレイラが、 先にブラジルを見ていた、と 本人が書いている。 秘密の航海。 「1500年」は、 公式の日付になった。