概要
薩長同盟を結び、討幕軍を率いた。維新後は新政府に背き、西南戦争で死ぬ。
関わったできごと(5)
薩長同盟1866年3月7日(慶応2年1月21日) · 薩摩側王政復古の大号令1868年1月3日(慶応3年12月9日) · 主導鳥羽・伏見の戦い1868年1月27日(慶応4年1月3日) · 新政府側江戸無血開城1868年4月11日(慶応4年3月19日) · 新政府側西南戦争1877年 · 首領本文
下級藩士の出。島津斉彬に見出されたが、 その死後に二度島流しになっている。 沖永良部島では、屋根だけの牢に入れられた。
戻ってからの数年で、薩長同盟と江戸開城を実現させた。 勝海舟との会談で総攻撃を止めたのは、 軍を率いる側の判断としては異例になる。
維新後、留守政府の中心にいたが、 朝鮮への使節派遣(征韓論)をめぐって敗れ、下野した。 本人の主張は、まず自分が非武装で行くというものだったとされ、 出兵論とは分けて読む説がある。
鹿児島で私学校を開き、 その生徒が起こした反乱に担がれて死んだ。
死後12年で賊名を解かれ、上野に銅像が立つ。 その顔は、写真が無いため想像で作られた。