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Person / 人

シメオン1世

Simeon I of Bulgaria
AD864年頃 – AD927年(享年63・推定)
第一次ブルガリア帝国重要度 3

概要

コンスタンティノープルで学び、「半分ギリシア人」と呼ばれた。皇帝を名乗り、ビザンツを何度も破り、コンスタンティノープルの城壁の下まで来た。プレスラフに黄金の教会を建て、スラヴ語の文学の最初の黄金時代を作った。

関わったできごと(1)

シメオンの皇帝称号AD913年 · 皇帝

本文

シメオン。 ボリス1世の三男。 864年頃。 878年頃、コンスタンティノープルへ。 マグナウラの学校。 10年。 「デモステネスとアリストテレスの弁論術と論理学を学んだ」。 リウトプランド。 「エミアルゴス」(半分ギリシア人)。 修道士。 帰って、プレスラフの修道院。

889年、ボリス退位。 ウラジーミル・ラサテ。 異教へ戻す。 ビザンツから離れる。 893年、ボリスが修道院を出て、 息子を捕えて目を潰し、 プレスラフの会議。 シメオン。 ギリシア語の典礼をスラヴ語に。 都をプレスラフに。

894年、商人。 896年、ブルガロフィゴン。 ビザンツ軍を殲滅。 「兵は一人も残らなかった」。 904年、テッサロニキがアラブ海賊に略奪され、 シメオンが迫り、 ビザンツは土地を譲った。

913年、 ビザンツ皇帝アレクサンドロスが、 ブルガリアへの貢納を止めた。 死んだ。 7歳のコンスタンティノス7世。 8月、コンスタンティノープル。 城壁の前。 総主教ニコラオス・ミスティコス。 ブラケルナエ。 「冠」。 ニコラオスは後に、 「私は自分のエピリプタリオン(頭巾)を彼の頭に置いただけだ」と書いた。 「バシレウス」。 翌年、皇太后ゾエが権力を取り、 取り消した。

917年8月20日、アケロオス。 「近代で最悪の敗北」。 「ブルガリア人とローマ人の皇帝」。 921年、923年、 セルビアを取り、 924年、コンスタンティノープルの前。 ロマノス1世。 会談。 海の上。 「二人の皇帝」。 ロマノス「私はあなたの皇帝、あなたは私の皇帝ではない」。 戦わずに帰った。

926年、クロアチア。 負けた。 927年5月27日。 心臓。 63歳。 ペタル。 和平。 「ブルガリア人の皇帝」を、ビザンツが認めた。 「ツァーリ」。

『黄金時代』。 プレスラフ。 黄金の教会。 陶器のイコン。 「ズラトストルイ」。 『六日の書』。 ヨハン・エクザルフ。 フラーバル修道士『文字について』。 「スラヴの文字は聖人が作った。 ギリシアの文字は異教徒が作った」。 キリル文字。 プレスラフで、この時代に、 グラゴル文字から作られた、と考えられている。