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Person / 人

杉原千畝

Sugihara Chiune
AD1900年1月1日 – AD1986年7月31日(享年86)
日本重要度 3

概要

リトアニアの領事館で、本国の指示に反して日本通過のビザを書きつづけた。一か月で2000通あまり。それで6000人が逃げたとされる。

所属

日本

関わったできごと(1)

ホロコースト1941年 · ビザを書きつづけた

本文

外務省のロシア語の専門家として、 満洲とフィンランドで働いた。

1939年、リトアニアのカウナスに領事館を開く。

領事代理としてただ一人の外交官だった。

1940年7月、領事館の前にユダヤ人が集まった。

ドイツに占領されたポーランドから逃げてきた人たちになる。

ソ連がリトアニアを併合し、出口が閉じかけていた。

日本を通過して第三国へ行くビザを求めた。

本省に打電して、許可を求めた。

正規の条件を満たさない者に出すな、という返事だった。

三度問い合わせ、三度断られた。

書いた。

7月の終わりから8月の終わりまで、 朝から晩まで手書きで。

領事館を閉じたあとはホテルで、 列車が出る駅のホームでも書いたと伝わる。

2139通。家族単位なので、人数は6000人ほどとされる。

戦後、外務省を辞めさせられた。

1985年、イスラエルが「諸国民の中の正義の人」に選んだ。

動画(1)

外交官・杉原千畝 〜無数のユダヤ難民を救った命のビザ〜【44-10 COTEN RADIO シンドラー編10】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIOシンドラー編の中で、同じ時期に同じことをした日本人として扱う