概要
リトアニアの領事館で、本国の指示に反して日本通過のビザを書きつづけた。一か月で2000通あまり。それで6000人が逃げたとされる。
所属
日本関わったできごと(1)
ホロコースト1941年 · ビザを書きつづけた本文
外務省のロシア語の専門家として、 満洲とフィンランドで働いた。
1939年、リトアニアのカウナスに領事館を開く。
領事代理としてただ一人の外交官だった。
1940年7月、領事館の前にユダヤ人が集まった。
ドイツに占領されたポーランドから逃げてきた人たちになる。
ソ連がリトアニアを併合し、出口が閉じかけていた。
日本を通過して第三国へ行くビザを求めた。
本省に打電して、許可を求めた。
正規の条件を満たさない者に出すな、という返事だった。
三度問い合わせ、三度断られた。
書いた。
7月の終わりから8月の終わりまで、 朝から晩まで手書きで。
領事館を閉じたあとはホテルで、 列車が出る駅のホームでも書いたと伝わる。
2139通。家族単位なので、人数は6000人ほどとされる。
戦後、外務省を辞めさせられた。
1985年、イスラエルが「諸国民の中の正義の人」に選んだ。