概要
身分を問わない奇兵隊を作り、長州を討幕へ転じさせた。倒幕を見ずに27歳で病死。
関わったできごと(2)
四国艦隊下関砲撃事件1864年9月5日(元治元年8月5日) · 講和交渉第二次長州征討1866年 · 長州側本文
上級藩士の子で、松下村塾に学んだ。 上海に渡り、租界で中国人が自国内で 使われている様子を見て衝撃を受けている。
奇兵隊を作った。 武士だけでなく、農民も町人も志願で入れる部隊になる。 身分制の軍に対する批判が形になったものだった。
長州が幕府に恭順した時、 80人ほどで挙兵して藩論を討幕へひっくり返した。 勝ち目の薄い賭けで、実際に勝った。
四国艦隊との講和交渉では、 賠償は幕府の責任と押し返し、彦島の租借を拒んだ。
肺結核で27歳の生涯を終える。 辞世は「おもしろき こともなき世を おもしろく」。 下の句は看病していた野村望東尼が付けたと伝わる。