概要
交流の送電方式を実用にし、エジソンの直流と争って勝った。無線送電の実験に資産を注ぎ込み、ホテルの一室で死んだ。
関わったできごと(1)
電流戦争AD1888年 · 交流側本文
セルビア人の司祭の家に生まれ、 オーストリアで電気工学を学んだ。
エジソンの会社にアメリカで雇われた。
一年で辞めている。
約束した報酬を払われなかったため、と本人は書いた。
交流を推した。
直流は遠くへ送れない。
交流は変圧器で電圧を上げて送り、 使う場所で下げられる。
エジソンは直流で、公開の場で 交流の危険を示すために動物を感電させた。
勝ったのは交流だった。
ナイアガラの発電所が交流で建ち、 世界の送電がそれに倣う。
無線の実験に進んだ。
電線なしで電力を送る塔を建てはじめ、 資金が尽きて未完に終わる。
特許の争いをいくつも抱え、 晩年はホテルの一室で鳩を飼って暮らした。
死後、彼の名は磁束密度の単位になった。