概要
中国史上ただ一人、自ら皇帝を名乗った女性。科挙で人を登用し、後世の史書からは苛烈な評ばかりを受ける。
関わったできごと(1)
則天武后の即位AD690年 · 当人本文
14歳で太宗の後宮に入り、 太宗の死後は慣例により尼になった。 そこから高宗に呼び戻され、皇后になる。
高宗が病がちになると政務を執り、 その死後は自分の子を次々に立てては廃し、 最後に自ら皇帝を名乗った。690年、67歳になる。
やったことのうち後世に残ったのは、 科挙の拡充だった。 門閥貴族に頼れない立場だったため、 試験で選んだ人材を登用するしかない。 結果として、唐の官僚制が強まった。
同時に、密告を奨励し、酷吏を使って 反対派とその一族を粛清している。
史書の評価は極端に厳しい。 書いたのは儒教の規範を持つ男性の史官で、 女性が帝位に就いたこと自体が 最大の罪として扱われている。
自分の墓には、文字のない碑を立てさせた。