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Person / 人

蕭衍(梁の武帝)

Emperor Wu of Liang
AD464年 – AD549年6月12日(享年85・推定)
重要度 4

概要

竟陵八友の文人が、斉を倒して梁を建てた。48年。最初の20年は善政。それから仏教。同泰寺。捨身。肉を断ち、女を遠ざけ、皇帝菩薩。侯景を受け入れて台城に囲まれ、餓死した。「私の天下は私が得て私が失った。恨みはない」。

関わったできごと(1)

梁の武帝の捨身AD527年 · 皇帝

本文

蕭衍。叔達。練児。 464年。南蘭陵。 蕭道成(斉の高帝)の族弟の子。 竟陵八友。沈約、謝朓、王融、任昉、范雲、蕭琛、陸倕、蕭衍。 「詩人」。 498年、雍州刺史。襄陽。 500年、兄蕭懿が斉の東昏侯に殺された。 501年、挙兵。建康。 502年4月、禅譲。「梁」。「天監」。 「東昏侯の弟の和帝を殺した」。「金を飲ませた」。 「善政」。「五経博士」。「学校」。「律」。 「沈約が『宋書』」。 「朝は4時に起きて、政務」。「冬に手が裂けた」。 517年、宗廟の犠牲。 519年、菩薩戒。 520年頃、達磨。 527年、捨身。 「同泰寺」。 「阿育王寺の舎利」。 「臣下の子が罪を犯しても、『若い』と許した」。 「弟の蕭宏が、金を蓄えて反乱を企てても、『弟だ』と許した」。 「侯景が『私は東魏から』。武帝は夢で中原を取ったのを見て、受け入れた」。 548年8月、侯景が背いた。8000。 「台城」。 549年3月、落ちた。 侯景が武帝に会った。「あなたはどこの人か」。「私は北から」。「妻子は」。「北にいる」。「なぜ来た」。「陛下にお目にかかりたくて」。侯景は汗をかいた。「私は、あの老人が恐い」。 「食事を減らした」。 「蜂蜜を」。 5月2日。86歳。 「自我得之、自我失之」。 侯景は「梁の皇帝」を名乗り、552年に陳霸先と王僧弁に殺された。 557年、陳。 「梁の武帝は、南朝で最も長く、最も学問があり、最も慈悲深く、最も愚かだった」。 『梁書』。「文武の才、王者の徳。だが、晩年、仏教に溺れ、臣下に甘く、綱紀が緩んだ」。 「梁皇宝懺」。彼が作ったとされる懺悔の儀式。いまも中国の寺で。 「梁武帝と達磨」。禅の公案の最初。 「功徳なし」。 「あなたの功徳はない」と言われた皇帝。 「それでも、彼が仏教を国のものにした。日本にも、それが来た」。