概要
遼の太祖の8代の孫。進士。金に遼が滅ぼされる直前、200騎で西へ逃げた。モンゴル高原、ウイグル、バラサグン。「グルカン」。カトワーンでサンジャルを破り、中央アジアを取った。「カラ・キタイ」。中国風の年号と官制。プレスター・ジョンの元。
関わったできごと(1)
カトワーンの戦いAD1141年9月 · 勝った本文
耶律大石。 「重徳」。 1087年頃。 「遼の太祖の八世の孫」。 1115年。進士。「翰林」。「林牙」。 「契丹人で、進士になった人は、少ない」。 「遼と漢と、両方の言葉」。 1122年。燕京。 「天祚帝は、西へ逃げていた。大石は、耶律淳を、皇帝に。『北遼』」。 「淳が死んだ。妻蕭普賢女」。 「宋が、燕京を攻めた。大石が、白溝河で、破った。二度」。 「金が、燕京を取った」。 1123年。天祚帝の所へ。 「『あなたは、逃げた』」。 「捕えられた。逃げた」。 1124年。「天祚帝は、まだ、金と戦うと」。 「『無理だ』」。 「200騎」。 「可敦城」。 「7つの州。18の部族。1万」。 1130年。西へ。 「ウイグルの王に、手紙。『私は、西へ行く。道を』」。 「エミル。バラサグン」。 1132年。「皇帝」。「グルカン」。「天祐皇帝」。「延慶」。 1134年。 1137年。ホジェンド。 1141年。カトワーン。 「サマルカンド。ブハラ。ホラズム。カシュガル。ホータン」。 「税。銀貨1ディナールを、戸ごとに」。 「宗教。自由」。 「仏教。景教。イスラーム。マニ」。 1143年。57歳。 「妻。塔不烟。摂政」。 「娘。普速完」。 「孫。直魯古」。 「1211年。クチュルク」。 「1218年。ジェベ」。 「88年」。 「『西遼』。中国の名。『カラ・キタイ』。イスラームの名」。 「『キタイ』。ロシア語で、中国は、いまも『キタイ』」。 「契丹が、中国の名に」。 「『キャセイ』」。 「彼が、西へ運んだ」。 「『プレスター・ジョン』」。 「彼が、キリスト教徒だったことは、ない」。