概要
赤壁で曹操の大軍を火で破った呉の将軍。美貌と音楽の才で知られ、36歳で病死した。演義では諸葛亮に嫉妬する人物に書き換えられている。
所属
呉本文
廬江の名門に生まれた。
孫策と同い年で、親友だった。
二人で橋公の娘を娶った。
孫策が大喬、周瑜が小喬。
孫策が死ぬと、弟の孫権を支えた。
208年、曹操が南下した。
降伏論が多数だった。
周瑜が主戦論を張った。
曹操の兵は北方の人で、水に慣れず、 疫病が出ている、と。
3万で、赤壁に向かった。
黄蓋の偽装投降と、火。
風が吹いた。
曹操の船団が燃えた。
演義は、諸葛亮が風を祈ったことにしている。
史書では、周瑜の戦いになる。
翌々年、蜀を取る計画を進めていた。
その途中、36歳で病死した。
音楽に通じていた。
酒の席で演奏に誤りがあると、必ず振り向いた。
「曲に誤りあれば、周郎顧みる」。
演義は、諸葛亮に嫉妬して憤死する人物に変えた。