概要
282条を石碑に刻んで公開した。刑罰は身分によって差があり、目には目をの原則で知られる。
場所
バビロン
32.54°N 44.42°E · イラク・バービル県
32.54°N 44.42°E · イラク・バービル県
関わった人(1)
ハンムラビBC1810年頃–BC1750年頃 · 制定本文
「目には目を」で知られるが、条文を読むと同害報復は一様ではない。 被害者と加害者の身分によって、罰も賠償も変わる。 貴族の目を潰せば目を潰されるが、 奴隷の目なら銀で払えばよい、という書き方になっている。
新しかったのは中身より、公開したことだった。 石柱に彫って人の集まる場所に立て、 「虐げられた者はこの碑の前に来て読め」と書いてある。 読める人は限られていたにせよ、 支配者が自分を縛る規則を掲げたという形が残る。
この碑は後にエラム人に戦利品として持ち去られ、 1901年、イランのスーサで発掘された。 いまはルーヴルにある。
ウル・ナンム法典はこれより300年古く、 そちらは身体刑ではなく賠償を主にしている。 時代が下るほど刑が重くなった、という順序になる。
出典(2)
ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之 訳) 『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』第6章 神話による社会の拡大
デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ(酒井隆史 訳) 『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』第10章(国家の三つの原理)