概要
メソポタミアを統一し、法を石碑に刻んで公開した。条文は282条に及ぶ。
関わったできごと(1)
ハンムラビ法典BC1754年頃 · 制定本文
バビロンの王。 即位したときは、メソポタミアの小国の一つだった。
30年、周囲と同盟しては裏切り、 少しずつ勢力を広げた。 最終的にメソポタミア全域を制する。
法典を石柱に刻んで公開した。 282条。
碑の上部に、王が太陽神シャマシュから 王権の象徴を受け取る場面が彫られている。 法は神から授かったという建前になる。
条文は身分によって扱いが違う。 自由人の目を潰せば目を潰されるが、 奴隷なら銀で払えばよい。
一方で、前文と後文には 「弱き者が強き者に虐げられぬように」 という言葉が繰り返される。
碑は後にエラム人が戦利品として持ち去り、 1901年、イランのスーサで発掘された。 いまルーヴルにある。
死後まもなく、帝国は崩れた。