概要
自分で自分を傷つけて護衛を求め、その護衛でアクロポリスを取った。二度追われ、三度目に定着する。農民に金を貸し、祭りを大きくし、ホメロスを整えさせた。民主政の前の、人気のある独裁。
場所
アテナイ
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ
37.98°N 23.73°E · ギリシア・アッティカ
関わった人(1)
ペイシストラトスBC600年頃–BC527年 · 僭主本文
ソロンの改革から30年、アテナイは三つの党派に割れていた。 平野の党、海岸の党、山地の党。 ペイシストラトスは山地の党、つまり貧しい農民の側に立った。
BC561年、自分で自分の体に傷をつけて広場に現れ、 敵に襲われたと言って護衛を求めた。 民会が棍棒を持つ50人を認め、その50人でアクロポリスを取った。
二度追われた。 二度目の帰還は、背の高い女を女神アテナに仕立てて 戦車に乗せ、女神が連れ戻したと触れ回った、とヘロドトスは書く。 三度目はエレトリアの戦いで力ずくで取り、それからは死ぬまで続いた。
法は変えなかった。 貧しい農民に金を貸し、地方に巡回裁判を送り、 パンアテナイア祭とディオニュシア祭を大きくした。 ホメロスの本文をこのときに整えさせた、という伝えがある。
アリストテレスは「僭主というより市民のように治めた」と書いた。 その息子ヒッピアスが憎まれて追われ、 そのあとクレイステネスが民主政を作る。