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Person / 人

ペイシストラトス

Pisistratus
BC600年頃 – BC527年(享年73・推定)
アテナイ重要度 3

概要

アテナイの僭主。三度政権を取り、二度追われた。農民の味方で、法は変えず、祭りを大きくした。息子の代に憎まれ、その追放のあとにクレイステネスの改革が来る。

関わったできごと(1)

ペイシストラトスの僭主政BC561年 · 僭主

本文

アテナイの東部、ブラウロンの貴族の家に生まれた。 ソロンの親戚とも言われる。 若い頃、メガラとの戦争でサラミスを取り、名を上げた。

三度の僭主政のうち、最後の18年が本番になる。 BC546年から527年まで。 その間、法はソロンのものをそのまま残した。 自分が裁判に呼ばれると、素直に出頭した。 アレオパゴスの評議会に。訴えた側が怖くなって取り下げた。

農民に低利で金を貸し、農産物の一割を取った。 地方に巡回裁判を送り、貴族が地元で裁くことをやめさせた。 パンアテナイア祭を四年に一度の大祭にし、 ディオニュシア祭で悲劇の競演を始めた。 テスピスが最初の俳優として舞台に立ったのは、この時代になる。 ホメロスの本文を整えて、祭りで朗誦する順を決めた。

死ぬまで権力を保ち、息子のヒッピアスとヒッパルコスに渡した。 アリストテレスは『アテナイ人の国制』で、 「彼の時代を黄金時代と呼ぶ者が多かった」と書いた。 息子たちはそう言われなかった。