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Person / 人

アフマド・グラーニュ

Ahmad ibn Ibrahim al-Ghazi
AD1506年頃 – AD1543年(享年37・推定)
アダル・スルタン国重要度 3

概要

火器を導入してエチオピア高原の大半を征服した。ポルトガルの介入で押し返され、戦死する。

関わったできごと(1)

アフマド・グラーニュのエチオピア侵攻AD1529年 · 総指揮

本文

「グラーニュ」は左利きという意味になる。

アダル・スルタン国の軍人で、 オスマンから火縄銃と大砲を手に入れた。

エチオピア高原へ攻め上る。

高原側は剣と槍が主力で、火器を持たない。

14年で、高原の大半が占領された。

教会と写本が焼かれた。

その被害は、エチオピアの記録の断絶として残る。

皇帝は山中を逃げ回り、ポルトガルに助けを求めた。

400人の銃兵が来た。

指揮官はヴァスコ・ダ・ガマの息子になる。

一度は敗れて処刑されるが、 残った兵が高原側に加わった。

1543年、ワイナ・ダガの戦いで銃弾を受けて死ぬ。

その死で軍が崩れ、占領が終わった。

紅海をはさんだ二つの帝国の代理戦争でもあった。