概要
火器を導入してエチオピア高原の大半を征服した。ポルトガルの介入で押し返され、戦死する。
関わったできごと(1)
アフマド・グラーニュのエチオピア侵攻AD1529年 · 総指揮本文
「グラーニュ」は左利きという意味になる。
アダル・スルタン国の軍人で、 オスマンから火縄銃と大砲を手に入れた。
エチオピア高原へ攻め上る。
高原側は剣と槍が主力で、火器を持たない。
14年で、高原の大半が占領された。
教会と写本が焼かれた。
その被害は、エチオピアの記録の断絶として残る。
皇帝は山中を逃げ回り、ポルトガルに助けを求めた。
400人の銃兵が来た。
指揮官はヴァスコ・ダ・ガマの息子になる。
一度は敗れて処刑されるが、 残った兵が高原側に加わった。
1543年、ワイナ・ダガの戦いで銃弾を受けて死ぬ。
その死で軍が崩れ、占領が終わった。
紅海をはさんだ二つの帝国の代理戦争でもあった。