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Person / 人

アル=イドリースィー

al-Idrisi
AD1100年 – AD1165年頃(享年65・推定)
シチリア王国重要度 3

概要

ムスリムの地理学者が、キリスト教徒の王に仕えて世界地図を作った。パレルモは当時、アラビア語・ギリシア語・ラテン語が並んで使われる場所だった。

関わったできごと(1)

『ロジェールの書』と世界地図AD1154年 · 作成

本文

セウタ生まれ。 北アフリカを治めたムラービト朝の王家の血を引くとされる。

コルドバで学び、各地を旅した後、 シチリア王ルッジェーロ2世に招かれた。

キリスト教徒の王の宮廷で、 ムスリムの学者が15年かけて地図を作った。

方法は、旅人からの聞き取りになる。 同じ土地について複数の人に聞き、 食い違えば採らない。 確認が取れたものだけを載せる、と序文に書いている。

作った銀の円盤の地図は失われた。 残ったのは、写本の地図と本文になる。

パレルモは当時、 アラビア語・ギリシア語・ラテン語が公文書に並ぶ都市だった。 王の外套には、アラビア語の銘が刺繍されている。

その共存は、王の死後まもなく終わった。 ムスリム住民は追われ、 イドリースィー自身も北アフリカへ戻ったとされる。