← 地図で見る
Person / 人

アリー

Ali ibn Abi Talib
AD600年頃 – AD661年(享年61・推定)
カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)重要度 5

概要

ムハンマドの従弟で娘婿。最初に信じた男の一人で、第四代カリフになった。ムアーウィヤと戦い、仲裁を受け入れたことで一派が離れ、その一派に礼拝中に斬られた。シーア派は彼こそ正しい後継者だとし、ナジャフの墓に詣でる。

関わったできごと(1)

ウマイヤ朝の成立AD661年 · 暗殺された

本文

ムハンマドの叔父アブー・ターリブの子。 カアバの中で生まれた、とシーア派は言う。 5歳ほどでムハンマドに引き取られた。 飢饉の年で、叔父の家計を助けるために。 最初に信じた男。 少年だった。 ハディージャの次、あるいは、アブー・バクルの次。

622年のヒジュラの夜、 ムハンマドのベッドに代わりに寝て、 暗殺者を欺いた。 メディナで、ファーティマと結婚した。 ハサンとフサイン。 バドル、ウフド、ハンダク、ハイバル。 ハイバルの門を盾にした。 「アリーの他に若者なし、ズルフィカール(アリーの剣)の他に剣なし」。

632年、ムハンマドが死んだ。 アリーが葬儀の支度をしている間に、 サキーファの集会でアブー・バクルがカリフに選ばれた。 アリーは6か月、忠誠を誓わなかった。 ファーティマが死ぬまで。 シーア派は、ガディール・フンムでムハンマドが 「私が主である者はアリーも主である」と言った、と言う。 スンナ派は、それは後継指名ではない、と言う。 ここが分かれ目になる。

25年、政治から離れていた。 アブー・バクル、ウマル、ウスマーン。 ウマルは助言を求めた。 「アリーがいなければウマルは滅びていた」。

656年、カリフ。 就任の年にラクダの戦い。 ムハンマドの妻アーイシャがラクダに乗って軍を率い、 アリーが破った。 657年、スィッフィーン。 658年、ナフラワーンでハワーリジュ派を殺した。 661年1月、クーファのモスク、 ファジュルの礼拝で、 イブン・ムルジャムが毒の剣で頭を斬った。 「カアバの主にかけて、私は成功した」と言った。 二日後に死んだ。 墓は隠され、 150年後にナジャフに定められた。

『ナフジュ・アル・バラーガ』、雄弁の道。 彼の説教と手紙を10世紀に集めた本。 「人は二種類だ。宗教上の兄弟か、創造における同類か」。 スーフィーの系譜のほとんどが、彼から始まる。 シーア派は最初のイマーム、 スンナ派は第四の正統カリフ、 どちらにとっても、ムハンマドのあとで最も知恵のある人になる。