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Event / できごと

ウマイヤ朝の成立

Founding of the Umayyad Caliphate
AD661年
重要度 5

概要

第四代カリフのアリーが暗殺され、シリア総督ムアーウィヤがダマスクスでカリフを名乗った。選ばれるカリフから、世襲のカリフへ。アリーの側はこれを認めず、シーア派になる。

場所

ダマスクス
33.51°N 36.28°E · シリア

関わった人(2)

ムアーウィヤAD602年頃–AD680年 · 初代カリフアリーAD600年頃–AD661年 · 暗殺された

本文

656年に第三代カリフのウスマーンが、 メディナの自宅で反徒に殺された。 アリーが第四代カリフになった。 ムハンマドの従弟で、娘ファーティマの夫。

ウスマーンはウマイヤ家で、 その従弟のシリア総督ムアーウィヤは、 血の仇討ちを求めた。 アリーが犯人を罰しないなら、アリーを認めない。 ウスマーンの血染めの服をダマスクスのモスクに掲げた。

657年、スィッフィーンで両軍が会した。 アリーが勝ちかけたとき、 ムアーウィヤの兵が槍の先にクルアーンの頁を掲げた。 「神の書に裁かせよ」。 アリーは仲裁を受け入れた。 アリーの側の一部はそれを「神以外に裁きはない」と怒って離れた。 ハワーリジュ派。

仲裁は決着せず、 ムアーウィヤは660年にエルサレムでカリフを宣言し、 661年1月、アリーはクーファのモスクで、 礼拝の途中にハワーリジュ派の男に毒の剣で斬られた。 息子のハサンはムアーウィヤと和して退いた。

661年、ムアーウィヤは全体のカリフになった。 都はダマスクス。 680年に死ぬとき、息子のヤズィードを後継に指名していた。 選ばれるカリフから、世襲へ。 アリーの子フサインはそれを認めず、カルバラーで死ぬ。

ウマイヤ朝は90年続いて、 西はイベリアから東はインダスまで広げた。 750年にアッバース朝に倒され、 一族は宴に呼ばれて皆殺しにされた。 一人がスペインに逃げ、コルドバで後ウマイヤ朝を建てる。

シーア派は、この王朝を簒奪者と呼ぶ。 スンナ派の歴史も、この王朝には冷たい。 アッバース朝の下で書かれたからでもある。

同じ時代のできごと

ニハーヴァンドの戦いAD642年大化の改新AD645年百済の滅亡AD660年白村江の戦いAD663年ウィットビー教会会議AD664年近江大津宮への遷都AD667年高句麗の滅亡AD668年義浄のシュリーヴィジャヤ滞在AD671年