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Event / できごと

高句麗の滅亡

Fall of Goguryeo
AD668年
重要度 4

概要

隋と唐の遠征を70年はね返した国が、淵蓋蘇文の死後の兄弟争いで内から崩れた。唐と新羅が平壌を囲み、一か月で落ちた。700年の国が終わり、遺民は唐へ、新羅へ、そして渤海を建てる。

場所

平壌
39.04°N 125.76°E · 朝鮮民主主義人民共和国

関わった人(1)

金庾信AD595年–AD673年 · 新羅軍

本文

淵蓋蘇文は666年に死んだ。 長男の男生が跡を継ぎ、 地方を回っている間に弟の男建と男産が都を押さえた。 男生は国内城から唐に降り、 唐の道案内になった。 弟の淵浄土は新羅に降った。

唐の高宗は李勣に大軍を任せた。 667年、遼東の新城を落とし、 668年2月、扶余城を落とした。 新羅の文武王は金庾信を大将軍にし、 自分も北へ出た。 庾信は病んで、金仁問と金欽純が軍を率いた。

9月、平壌を囲んだ。 一か月。 王の高蔵が男産を出して降伏を申し出、 男建は城に籠って戦った。 男建が軍を任せていた僧の信誠が、 密かに唐に通じ、五日目に門を開けた。 男建は自害しようとして死ねず、捕えられた。

王と男建、男産、貴族と民20万が唐に連れて行かれた。 高蔵は唐で朝鮮王の称号を受け、 のちに遼東に戻されて高句麗を再興しようとして、 また捕えられて四川で死んだ。 唐は平壌に安東都護府を置いた。

高句麗は建国から705年、 28人の王。 隋の四度、唐の三度の遠征をはね返してから、 内側から割れて一か月で落ちた。 遺民は唐へ、新羅へ、突厥へ、靺鞨の地へ散り、 30年後にそこから渤海が建つ。

新羅は6年後、唐と戦って、 唐の軍を半島から追い出す。

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