概要
倭が百済を助けて唐・新羅に大敗した。以後、日本は防衛を固めつつ唐の制度を学ぶ側に回る。
場所
白村江位置は特定されていない(誤差 ±25km)
36.00°N 126.70°E · 大韓民国・錦江河口付近(位置に諸説ある)
36.00°N 126.70°E · 大韓民国・錦江河口付近(位置に諸説ある)
本文
百済が唐と新羅に滅ぼされ、 その遺臣が倭に援軍を求めた。
倭は数万の兵と船団を送った。 朝鮮半島南部との結びつきを失いたくなかったためになる。
白村江——錦江の河口で、唐の水軍と戦った。 『旧唐書』は、倭の船400隻が焼けたと書く。 海面が赤く染まったという記述が残る。
負けたあとの動きが速い。 北九州から瀬戸内にかけて山城を築き、 対馬・壱岐・筑紫に防人を置き、 大宰府の前に水城を築いた。 唐が攻めてくることを本気で警戒していた。
同時に、唐の制度を学ぶ側に回った。 律令、都城、戸籍。 敗けた相手の仕組みを、急いで取り入れることになる。
出典(1)
舎人親王ら 『日本書紀』天智天皇二年