概要
蘇我氏を倒し、唐にならった中央集権を目指した。土地と人民を国のものとする方針を打ち出す。
場所
飛鳥
34.47°N 135.82°E · 日本・奈良県
34.47°N 135.82°E · 日本・奈良県
本文
飛鳥板蓋宮で、蘇我入鹿が儀式の最中に斬られた。 中大兄皇子と中臣鎌足による。 父の蝦夷は翌日、自邸に火を放って死んだ。
その後に出されたとされるのが改新の詔になる。 公地公民、班田収授、租庸調、国郡の設置。 土地と人を豪族の私有から国のものに移す方針である。
ただし、この詔の文面は 『日本書紀』が編纂された8世紀の用語で書かれている部分があり、 どこまでが645年時点のものかは議論が続いている。 「郡」という字は、当時まだ「評」だったことが木簡から分かった。
実際に律令として形になるのは、 半世紀後の大宝律令になる。
改革が一日で成ったのではなく、 その方向へ舵を切った出来事として置くほうが近い。
出典(2)
舎人親王ら 『日本書紀』孝徳天皇 大化元年
網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』第5章 天皇と「日本」の国号