概要
一世紀のうちにイベリアからインダスまで広がった。ササン朝は消え、ビザンツは半分を失う。
本文
100年で、イベリア半島からインダス川まで広がった。
速さの理由として、まず相手側の事情が挙げられる。 ビザンツとササン朝が、直前まで26年戦って 互いに消耗しきっていた。
もう一つが、統治のやり方になる。 征服した土地の住民に改宗を強いなかった。 啓典の民(ユダヤ教徒・キリスト教徒)は、 人頭税(ジズヤ)を払えば信仰を保てる。
税は、それまでのビザンツやササン朝より軽い場合が多かった。 土地によっては、住民が歓迎した記録がある。
役人もそのまま使った。 ダマスクスでは、しばらくギリシア語で行政が行われている。
改宗が進むのは、征服から数世代あとになる。 急いで改宗されると、人頭税の収入が減って困る、 という現実的な事情もあった。
征服そのものは軍事だが、 定着したのは統治の設計による。
出典(3)
タバリー 『諸使徒と諸王の歴史』カリフ時代の巻
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』第51章
ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第II部 諸文明間の平衡状態(BC500〜AD1500年)