概要
長安は人口100万を超える国際都市になり、東アジアの制度と文化の手本になった。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
関わった人(1)
唐の太宗AD598年–AD649年 · 基礎を固めた本文
長安は、人口100万を超える国際都市になった。
外国人が多い。 ソグド人、ペルシア人、アラブ人、日本人、新羅人。
ゾロアスター教、マニ教、ネストリウス派キリスト教、 イスラームの寺院が並んで建っていた。
制度も文化も、東アジアの手本になる。 律令、都城の造り、科挙、そして漢詩。
日本の平城京も平安京も、長安を模している。
皇室自身が、北方系の血を引く。 鮮卑系の家系につながるとされる。
外に開いていたのは、 自分たちがそもそも混ざっていたからだ、 という見方がある。
その開かれ方が変わるのが、安史の乱になる。 反乱を起こした安禄山がソグド系だったこともあり、 以後、外国人への警戒が強まる。