概要
「日出づる処の天子」の国書を送った。対等を主張し、隋の煬帝を怒らせたと伝わる。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
関わった人(1)
聖徳太子AD574年–AD622年 · 派遣本文
小野妹子が持たされた国書は、 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」で始まる。
中国の皇帝に対して「天子」を並べた。 朝貢する側が使う言葉ではない。 煬帝は不快を示し、 「蛮夷の書に無礼あり。二度と取り次ぐな」と言ったと『隋書』は記す。
それでも使節は返された。 隋は高句麗との戦争を控えており、 その背後の倭と事を構えたくなかったとされる。
倭の側の狙いは、称号をもらうことではなく 制度と学問を持ち帰ることにあった。 留学生と学問僧が同行し、 彼らが20年後に帰国して大化の改新の設計に関わる。
『日本書紀』と『隋書』の記述には食い違いがある。 どちらも自分に都合のいい形で書いている。