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Person / 人

聖徳太子

Prince Shotoku
AD574年 – AD622年(享年48・推定)
重要度 4

概要

冠位十二階と十七条憲法を定め、隋へ使者を送った。仏教を国づくりの柱に据える。

関わったできごと(2)

十七条憲法AD604年 · 制定遣隋使AD607年 · 派遣

本文

厩戸皇子。推古天皇の甥で、摂政として政務を執ったとされる。

冠位十二階、十七条憲法、遣隋使、 そして仏教の受容。 飛鳥時代の主な事績が、この人の名で語られる。

ただし、そのほとんどは『日本書紀』の記述による。 成立は死から100年後になる。

一度に十人の訴えを聞き分けた、 未来を予知した、といった記述が同じ書に並んでいる。 どこまでが事実で、どこからが理想化かを分けるのは難しい。

「聖徳太子」という呼び名自体、 後世に付けられたものになる。 近年の教科書が「厩戸王」を併記するのは、 その区別を残すためになる。

実在を疑う説まで出たが、 同時代の史料(法隆寺の釈迦三尊像の光背銘など)があり、 そこまでは行き過ぎとされている。

動画(1)

玄奘先輩は西!ほな東!仏教と日本のエニシ 〜聖徳太子は師匠の転生?〜【56-5 COTEN RADIOショート 鑑真編5】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO太子の仏教受容を、大陸の求法僧の流れの中に置いて話している