概要
仏教を受け入れるかどうかで二つの豪族が争い、蘇我氏が勝った。厩戸皇子が加わっていたと『日本書紀』は書く。以後、蘇我氏の下で仏教と大陸の制度が入ってくる。
場所
平城京
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
本文
仏教が入って50年。
受け入れるかどうかで、豪族が割れていた。
蘇我氏は受け入れる側。
渡来人を抱え、大陸の技術を握っている。
物部氏は退ける側。
軍事と、神々の祭祀を担う。
疫病が起きると、仏のせいだと寺が焼かれた。
用明天皇が死んだ。
後継をめぐって、争いになる。
587年7月。
蘇我馬子が諸皇子と豪族を集めて、物部守屋を攻めた。
守屋は河内の館で迎え撃つ。
木の上から矢を射て、蘇我側が三度退いた。
14歳の厩戸皇子が、 白膠木で四天王の像を刻んで戦勝を祈った、と 『日本書紀』は書く。
守屋が射落とされた。
物部氏は倒れた。
蘇我氏の下で、寺が建ち、大陸の制度が入る。
法隆寺の前身の四天王寺が、 その願いから建った、と伝わる。