概要
武帝が仏教と道教を同時に廃し、300万の僧を還俗させ、4万の寺を貴族に与えた。「私は五胡ではない、地獄など恐れない」と言った。4年後に死に、次の隋がすべてを戻す。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
本文
北周の武帝宇文邕は、 仏教と道教と儒教のどれが上かを、朝廷で三度論じさせた。 573年に儒・道・仏の順とし、 574年、仏教と道教を同時に廃した。
経と像を壊し、 僧と道士を還俗させ、 寺の財産を王公に分けた。 還俗させた僧は300万と『歴代三宝紀』は書く。 誇張だが、人口の一割に近い数が僧籍にあった。 兵役と税から逃れるために。 武帝はその人と土地を、国に戻したかった。
577年に北斉を滅ぼすと、 北斉の領内でも廃仏した。 僧の慧遠が「陛下は地獄に落ちる」と言った。 武帝は答えた。 「民が楽であれば、私は地獄の苦を辞さない」。 別の伝えでは、 「私は五胡ではない、心が敬わない仏を敬うことはない」。
578年、突厥を攻めに出て、途中で病んで死んだ。36歳。 翌年、子の宣帝が仏教を戻した。 581年、楊堅が国を取って隋を建て、 仏教を国の柱にした。 自分が尼に育てられた、と言った。 廃仏の4年で消えた寺は、隋の30年で倍になった。
唐の武宗の会昌の廃仏まで、270年空く。