概要
ヘラクレイオスの大軍が、砂嵐の日に、ハーリドの率いるアラブ軍に六日かけて崩された。皇帝は「シリアよさらば、敵にとって何とよい国か」と言って去った。ローマは700年治めたシリアを、二度と取り戻さない。
場所
ヤルムーク川位置は特定されていない(誤差 ±km)
32.75°N 35.95°E · ヨルダン・シリア国境
32.75°N 35.95°E · ヨルダン・シリア国境
関わった人(1)
ハーリド・イブン・アル・ワリードAD592年頃–AD642年 · アラブ軍の将軍本文
ヘラクレイオスはペルシアに勝って、 630年に真の十字架をエルサレムに戻したばかりだった。 その4年後、アラビアから軍が来た。 634年にダマスクスが落ち、 皇帝はアンティオキアから、 弟テオドロスと、アルメニア人ヴァハン、ゴート人ブカイナトルの軍を集めた。 5万から8万と考えられている。
アラブ軍は3万から4万。 ハーリドは各地の軍を一つに集め、 ヤルムーク川の北の平原に、 背後に渓谷を置いて陣を敷いた。 636年8月15日から20日。 六日間の戦い。
最初の四日はローマの側が押した。 アラブ軍の左翼が二度崩れ、 陣地まで押し戻された兵を、女たちが棒で殴って戻した、と伝わる。 五日目、ローマ側が休戦を求め、ハーリドが拒んだ。 六日目、砂嵐。 ハーリドの騎兵が右から回り込み、ローマの騎兵を分断し、 歩兵を渓谷の側へ押した。 崖から落ちた。
ヴァハンも、テオドロスも、ブカイナトルも死んだ。 ヘラクレイオスはアンティオキアからコンスタンティノープルへ帰った。 船に乗るとき、 「シリアよ、さらば。敵にとって何とよい国か」と言った。
翌年エルサレムが降り、 638年にアンティオキアが、 642年にアレクサンドリアが落ちた。 ポンペイウス以来700年のローマのシリアが、六日で終わった。 アラブは何も新しい武器を持っていなかった。 ローマとペルシアが、25年の戦争で互いに疲れ切っていた。