ハーリド・イブン・アル・ワリード
概要
ウフドでムハンマドを破った側の将で、のち改宗して「神の剣」と呼ばれた。背教の諸部族を鎮め、イラクからシリアへ砂漠を横断し、ヤルムークで東ローマを破った。一度も負けなかったが、人気を恐れたカリフに解任され、ベッドで死んだことを悔しがった。
関わったできごと(1)
ヤルムークの戦いAD636年8月 · アラブ軍の将軍本文
マフズーム家。クライシュ族の名門で、 父ワリードはムハンマドの反対者の筆頭だった。
625年、ウフド。 メッカの騎兵を率いて、 ムスリムの弓兵が持ち場を離れたのを見て、 背後から回り込んで勝った。 ムハンマドが負けた唯一の戦いになる。
629年、改宗した。 「神は私をイスラームに導くために作った」。 その年のムウタで、 ビザンツ軍に囲まれたムスリムを退却させ、 「9本の剣が手の中で折れた」。 ムハンマドは「神の剣」(サイフッラー)と呼んだ。
632年、ムハンマドが死に、 アラビアの諸部族が背いた。 リッダ(背教)戦争。 ハーリドは12か月で全部を鎮めた。 マーリク・イブン・ヌワイラを殺してその妻を娶り、 ウマルが「処刑せよ」と言い、アブー・バクルが守った。 ヤマーマで偽預言者ムサイリマを破った。 ムスリムの死者が1200、クルアーンの暗記者が多く死んで、 それでクルアーンを書き集めることになった。
633年、イラク。 634年、シリアへ砂漠を横断した。 5日、水のない砂漠を、 ラクダに水を飲ませて腹に貯め、 途中で殺して飲んだ。 ダマスクスを落とし、 636年、ヤルムーク。
ウマルがカリフになると、 解任した。 「人々がハーリドのおかげで勝つと思わないように」。 ハーリドは兵として従い続けた。 638年、完全に退けられた。 「私は財産を、自分の馬と武器と奴隷だけにされた」。
642年、ホムスで病死した。 「百の戦いに出て、体に矢と剣と槍の跡のない所はない。 それが、こうしてラクダのようにベッドで死ぬ。 臆病者の目が眠らないように」。 ホムスに墓がある。 シリア内戦で、2013年に砲撃を受けた。