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Event / できごと

百済の滅亡

Fall of Baekje
AD660年
重要度 4

概要

唐の13万が海から、新羅の5万が陸から来た。階伯の5000が黄山で四度勝って五度目に全滅し、都の泗沘が落ちた。王は唐へ連れ去られ、遺臣が日本に救援を求めた。それが白村江になる。

場所

泗沘(扶余)
36.28°N 126.91°E · 韓国・忠清南道

関わった人(1)

金庾信AD595年–AD673年 · 新羅軍

本文

百済の義慈王は即位の初め、新羅の40城を取った。 642年、大耶城を落として新羅の城主夫婦を殺した。 その娘婿が金春秋だった。 春秋は高句麗に援けを求めて捕えられ、 倭に行き、唐に行った。 唐に行って、太宗に会い、 唐の服を着て、唐の年号を使うことにした。

660年、唐の高宗は蘇定方に13万を与えて海を渡らせた。 新羅の武烈王(春秋)は金庾信に5万を与え、陸から出した。 義慈王は判断を迷い、 成忠が獄中から「白江と炭峴を守れ」と言い、 興首が同じことを言ったが、 臣下が興首を疑って、聞かなかった。

階伯は5000の決死隊を出した。 出る前に妻子を自分で殺した。 「敵の奴隷になるより、死んだほうがよい」。 黄山(論山)で新羅の5万と四度戦い、四度勝った。 五度目、新羅の花郎の少年官昌が単騎で突っ込み、 捕えられ、返され、また突っ込んで、殺された。 新羅軍は怒って総攻撃し、階伯は死んだ。

唐軍は白江から入り、 7月18日、泗沘が落ちた。 義慈王は熊津に逃げ、降った。 王と太子と大臣88人と民1万2000が唐に送られ、 王はその年のうちに洛陽で死んだ。

鬼室福信と僧道琛が周留城で立てこもり、 倭にいた王子豊璋を呼んだ。 斉明天皇は自分で筑紫まで出て、そこで死んだ。 663年、白村江。

同じ時代のできごと

ニハーヴァンドの戦いAD642年大化の改新AD645年ウマイヤ朝の成立AD661年白村江の戦いAD663年ウィットビー教会会議AD664年近江大津宮への遷都AD667年高句麗の滅亡AD668年義浄のシュリーヴィジャヤ滞在AD671年