概要
唐の僧が海路でインドへ向かい、途中の港でサンスクリットを学んだ。海峡の国に千人の僧がいた、とその記録が伝える。
場所
パレンバン
-2.98°N 104.78°E · インドネシア(シュリーヴィジャヤの中心)
-2.98°N 104.78°E · インドネシア(シュリーヴィジャヤの中心)
関わった人(1)
義浄AD635年–AD713年 · 滞在した本文
玄奘の帰国から26年後になる。
同じくインドの経典を求めたが、 道は海を選んだ。
広州から商船に乗り、 20日ほどでシュリーヴィジャヤに着く。
半年滞在して、サンスクリットの文法を学んだ。
僧が千人以上いて、 インドと同じ規則で修行している、と書いている。
インドへ行くなら、まずここで 一、二年学ぶのがよい、とも。
ナーランダーで10年学んだ。
帰りも同じ港に寄り、 そこで4年かけて経典を訳した。
その間に書いたのが『南海寄帰内法伝』と『大唐西域求法高僧伝』になる。
前者は僧院の生活の細部を、 後者は海路でインドを目指した僧60人ほどの消息を伝える。
途中で死んだ者が多い。
シュリーヴィジャヤの姿は、 自国の記録がほとんど残っていないので、 この人の記述が主な手がかりになっている。
出典(1)
義浄 『南海寄帰内法伝』序