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Person / 人

ムアーウィヤ

Mu'awiya I
AD602年頃 – AD680年(享年78・推定)
カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)重要度 4

概要

メッカの名門ウマイヤ家の子で、ムハンマドの敵の側から改宗し、書記になり、シリア総督を20年務めた。従兄のカリフ暗殺の報復を掲げてアリーと争い、勝って世襲の王朝を開いた。「私は剣を使わずに済むところでは鞭を使い、鞭を使わずに済むところでは舌を使う」。

所属

カリフ国(正統・ウマイヤ・アッバース)

関わったできごと(1)

ウマイヤ朝の成立AD661年 · 初代カリフ

本文

アブー・スフヤーンの子。 メッカの指導者で、 バドルとウフドとハンダクでムハンマドと戦った家。 母ヒンドはウフドで、 殺されたハムザの肝を噛んだ、と伝わる。 630年、メッカ開城で一族が改宗した。 ムハンマドはムアーウィヤを書記にした。 読み書きができたから。

兄のヤズィードがシリアの総督になり、 639年の疫病で死んで、 ウマルがムアーウィヤを後任にした。 20年、シリアを治めた。 ビザンツの官僚をそのまま使い、 ギリシア語の帳簿をそのまま使い、 海軍を作った。 ウマルは海を恐れて許さず、 ウスマーンが許した。 649年キプロス、 655年、マストの戦いでビザンツ海軍を破った。 ダマスクスの街を、 20年で自分のものにした。

656年、従兄ウスマーンが殺された。 血の仇を掲げた。 657年、スィッフィーン。 アムル・イブン・アル・アースが仲裁で勝った。 661年、カリフ。

「私は人々の間に髪の毛一本を置く。 彼らが引けば緩め、彼らが緩めれば引く。 毛は切れない」。 ヒルム、寛容と忍耐、が彼の政治の言葉になった。 金を与え、 敵を買い、 アリーの子ハサンに年金を与えて引かせ、 クーファとバスラをズィヤードに任せて、 ズィヤードを「父の子」と認めて自分の弟にした。 アリーへの呪詛を、 金曜礼拝で唱えさせた。 ウマル2世が止めるまで、60年続いた。

ビザンツとは毎年戦い、 674年から678年にコンスタンティノープルを囲んで、 ギリシア火で負けた。 息子のヤズィードを後継に指名し、 各地の代表を呼んで忠誠を誓わせた。 アラビアの側は「ヘラクレイオスのやり方だ」と言った。

680年4月、死んだ。 78歳ほど。 ムハンマドの爪の切り屑と髪を口に入れて埋めるよう遺言した、と伝わる。 「私は預言者の書記だった」。