概要
属州総督としてミラノの司教選挙を鎮めに行き、群衆に「アンブロシウスを司教に」と叫ばれて、洗礼も受けていないのに司教になった。皇帝を聖堂の外に立たせ、賛美歌を作り、アウグスティヌスに洗礼を授けた。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
テオドシウスの謝罪AD390年 · 司教本文
トリーアで、ガリア道長官の子として生まれた。 父が早く死んで母とローマに帰り、 法律を学び、弁護士になり、 370年頃にアエミリア・リグリア属州の総督としてミラノに置かれた。
374年、ミラノのアリウス派司教が死に、 後任をめぐって正統派とアリウス派が聖堂で争った。 総督として鎮めに入った。 子供が「アンブロシウスを司教に」と叫び、群衆が続いた、 とパウリヌスの伝記は言う。 洗礼志願者のままで、まだ洗礼を受けていなかった。 逃げようとして、皇帝に命じられて、 8日で洗礼と叙階を済ませた。
財産を貧者に分け、 ギリシア語で神学を読み、説教を始めた。 アウグスティヌスがミラノで聞いて、 「言葉の巧みさに引かれて聞いていたら、中身が入ってきた」と書く。 387年の復活祭に、アウグスティヌスに洗礼を授けた。
皇太后ユスティナがアリウス派のために聖堂を一つ要求すると、 信徒と聖堂に立てこもって渡さなかった。 そのときに賛美歌を交互に歌わせた。 「アンブロシウス聖歌」の始まりで、 西方の教会が歌うようになった始まりでもある。
皇帝が異教のウィクトリア女神の祭壇を元老院に戻そうとすると、止めた。 皇帝がユダヤ教のシナゴーグを焼いた司教に賠償させようとすると、止めた。 皇帝がテッサロニキで7000人を殺すと、聖堂に入れなかった。 テオドシウスの葬儀の弔辞も読んだ。
「皇帝は教会の中にいる。教会の上にではない」。 397年に死に、 ミラノの守護聖人になった。 ミラノの人はいまも自分たちを「アンブロジアーニ」と呼ぶ。