概要
テッサロニキで暴動の報復に7000人を殺した皇帝を、ミラノ司教アンブロシウスが聖堂に入れなかった。皇帝は帝衣を脱いで公の場で悔い改めた。教会が皇帝を裁いた最初になる。
場所
ミラノ
45.46°N 9.19°E · イタリア・ロンバルディア州
45.46°N 9.19°E · イタリア・ロンバルディア州
関わった人(2)
アンブロシウスAD339年頃–AD397年4月4日 · 司教テオドシウス1世AD347年1月11日–AD395年1月17日 · 皇帝本文
390年、テッサロニキで、 ゴート人の守備隊長が人気のある戦車の御者を投獄した。 市民が暴動を起こして隊長を殺した。 テオドシウスは報復を命じ、 競技場に集めた市民を兵が囲んで、7000人を殺した。 命令の取り消しが届いたときには、終わっていた。
ミラノの司教アンブロシウスは、皇帝に手紙を書いた。 公に悔い改めるまで、聖餐を授けない、と。 他の司教たちは、皇帝を怒らせることを恐れた。 アンブロシウスは聖堂の入口で皇帝を待った、と伝記は言う。 「あなたはダビデのように罪を犯した。ダビデのように悔いなさい」。
テオドシウスは数か月、聖堂に入らなかった。 クリスマスに、帝衣を脱いで、 一般の悔悛者と同じように、 祭壇の前で罪を告白した。
皇帝は司教に従った。 それまで、コンスタンティヌスもコンスタンティウスも、 教会を自分の下に置いていた。 この日から、西方では教会が皇帝の良心の上に立つ、という話が始まる。 1077年、カノッサでハインリヒ4世が雪の中に立つとき、 教皇の側はこの話を持ち出した。
東方では、そうはならなかった。 コンスタンティノープルの総主教は、皇帝の下にいた。