概要
ヒスパニアの将軍の子。ゴートと講和して帝国の中に住まわせ、キリスト教を国教にし、異教の神殿を閉じ、オリンピアの競技を終わらせた。死ぬとき帝国を二人の息子に分け、それきり一つに戻らなかった。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
テオドシウスの謝罪AD390年 · 皇帝本文
ヒスパニアの将軍テオドシウスの子。 父はブリタニアで功を立て、アフリカで反乱を鎮め、 376年に理由が分からないまま処刑された。 息子は領地に引き籠っていた。
378年、ハドリアノポリスで皇帝ウァレンスがゴートに殺された。 西の皇帝グラティアヌスが、翌年、テオドシウスを東の皇帝にした。 ゴートは帝国の中を荒らしていた。 戦っても勝てず、 382年に条約を結んだ。 ゴートはドナウの南に住み、 自分たちの王の下で、帝国の同盟者(フォエデラティ)として兵を出す。 帝国の中に、帝国の法の外の民族が住むことになった。
380年、テッサロニキで洗礼を受け、 勅令を出した。 ニカイア信条を信じる者だけをカトリック・キリスト教徒と呼ぶ。 381年、コンスタンティノープルで公会議。 391年、異教の祭儀を禁じ、神殿を閉じた。 アレクサンドリアのセラペイオンが壊され、 デルフォイの神託が止まり、 393年のオリンピア競技が最後になった。 ウェスタの火が消えた。
390年にテッサロニキで7000人を殺し、 アンブロシウスに悔い改めさせられた。
西の皇帝が二度、簒奪者に殺され、 二度、遠征して倒した。 394年、フリギドゥス川で、 異教を掲げるエウゲニウスを破った。 異教の側の最後の軍になる。 勝ってミラノに入り、 395年1月、そこで死んだ。 48歳。
帝国を、18歳のアルカディウスに東を、 10歳のホノリウスに西を、と分けた。 分けたことは前にもあった。 だが、それきり一つに戻ることはなかった。 帝国全体を一人で治めた、最後の皇帝になった。