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Person / 人

テオドシウス1世

Theodosius I
AD347年1月11日 – AD395年1月17日(享年48)
ローマ帝国重要度 4

概要

ヒスパニアの将軍の子。ゴートと講和して帝国の中に住まわせ、キリスト教を国教にし、異教の神殿を閉じ、オリンピアの競技を終わらせた。死ぬとき帝国を二人の息子に分け、それきり一つに戻らなかった。

所属

ローマ帝国

関わったできごと(1)

テオドシウスの謝罪AD390年 · 皇帝

本文

ヒスパニアの将軍テオドシウスの子。 父はブリタニアで功を立て、アフリカで反乱を鎮め、 376年に理由が分からないまま処刑された。 息子は領地に引き籠っていた。

378年、ハドリアノポリスで皇帝ウァレンスがゴートに殺された。 西の皇帝グラティアヌスが、翌年、テオドシウスを東の皇帝にした。 ゴートは帝国の中を荒らしていた。 戦っても勝てず、 382年に条約を結んだ。 ゴートはドナウの南に住み、 自分たちの王の下で、帝国の同盟者(フォエデラティ)として兵を出す。 帝国の中に、帝国の法の外の民族が住むことになった。

380年、テッサロニキで洗礼を受け、 勅令を出した。 ニカイア信条を信じる者だけをカトリック・キリスト教徒と呼ぶ。 381年、コンスタンティノープルで公会議。 391年、異教の祭儀を禁じ、神殿を閉じた。 アレクサンドリアのセラペイオンが壊され、 デルフォイの神託が止まり、 393年のオリンピア競技が最後になった。 ウェスタの火が消えた。

390年にテッサロニキで7000人を殺し、 アンブロシウスに悔い改めさせられた。

西の皇帝が二度、簒奪者に殺され、 二度、遠征して倒した。 394年、フリギドゥス川で、 異教を掲げるエウゲニウスを破った。 異教の側の最後の軍になる。 勝ってミラノに入り、 395年1月、そこで死んだ。 48歳。

帝国を、18歳のアルカディウスに東を、 10歳のホノリウスに西を、と分けた。 分けたことは前にもあった。 だが、それきり一つに戻ることはなかった。 帝国全体を一人で治めた、最後の皇帝になった。